地理人の日常 新潟&東北〈地方都市と脳内と〉

地方調査は、移動中が肝心だ。

さて、地方都市調査中は、ツイートが増える・・・かと思いきや全然そんなことはない。リアルタイムでレポートしようという速報魂がないのかも知れないが、個人的には、それどころではないのだ。

画面に向かえば、日常と繋がってしまう。私の場合は東京の人間関係が投影された画面を見ることになる。文字を打ったり写真をアップしたりして、ソーシャルメディアにつなぐと、その時間は風景を見ないことになる。

その土地の空気に浸りたい、風景の連続性、人々の移動の波を観察したい・・・観察といっても、人数や区間を記録するようなことはない。なんとなく自分で”体感”するのだ。どこまでが「近く」て、どこからが「遠い」のか、乗って感じて見る。そうするとおのずと、「地元民の感覚」がついてくる。

10〜20時までは、移動か、住宅地や市街地を回っているか、僅かな時間に食事をしているか、である。それ以降は、コインランドリーで洗濯していたり、日中にすべき返信を返したりしていると、結構時間がなくなる。

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一人旅と聞けば、のんびりマイペースのようだが、えらく立て込んでいるである。しかし、立て込んでいるかと言われれば、移動中、本も読まず、連絡も返さず、ただ風景と車内の様子を、凝視するでもなくなんとなく”感じて”いる。

都市を歩く”リハビリ”

47都道府県、回っていない都道府県や主要都市があると「何故把握していないのか?」と自分に疑問を投げかけた。その都市に行けば誰でも知っているようなことを、私は知らないことがもどかしく、その土地では「当然のこと」を知らない後ろめたさがあった。そう、全国の地方都市に行かざるを得なかったのだ。

そんなこんなで、2005年頃勢いがついて、結局2008年に回ってしまった。それから、勢いは落ち着き、ヘビーワークな会社員となり、僅かな未踏主要都市と、以前と事情が変わった都市、人的に用のある都市を回る程度になり、足は鈍ったのである。

それでいて、本が出たり、メディアに出たりで、「地理人」は知られてしまった。しかし、名の知れた頃には、過去の勢いの残像で生きてる人というのも虚しい。というか、別に何かを成し遂げたでもなく、ただそこには未完成の空想地図があるだけなのだ。

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そう、未完成なのだ。

路線バス界隈では私より数段詳しい専門知識を持つ人、探究心のある人がいて、架空地図同業者も秀逸な地図を描くようになって、一体地理人とは何なのかを、見失ってもいた。簡単に言うと、私が何かしてもあまり意味がないと思っている、ということだ。

しかし残念ながら人生はまだ長そうだ。長生きしたくないのだが、周囲からは長生きしそうだと言われている。困った。色々人生の危機感を感じやすい性ではあるので、なんか向上せねば、価値を見出さねばと思っている。

例えば、勉強するとか資格とるとか実務経験身につけるとか、そういった前向きなキャリアを身につけた方が良さそうだ。しかし大学を卒業してからそこそこ年月は経ち、今しても周回遅れのようなものでもある。0から何かをするよりは、周囲の人もどうして良いんだか分からないが気に留めてくれている空想地図をどうにかしたほうが良さそうだ

とか言って、私もどうして良いんだか分からないのだが、ここで色々やめると、学校を中退するような投げ方になってしまうので、卒業して一体何になるんだか分からない学校みたいなものだとはいえ、卒業したほうが良いだろう、ということで、とりかかっている地図や本については完成させねばと思っている。一応、牛歩ながら進めている。

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オンリーワンを確立せねばならない。

これからの世の中、誰にもできないことを追求せねばというのが、社会を生き抜く上での命題でもあり、競争できない私自身の課題でもある。競争できないからオンリーワン市場に行くしか道はないのだ。そういう訳で、昨年は海外にも行ってみた。多文化、多民族、貧富の差、を内包すると都市はどうなるのか、をつかむ手がかりに。結局よく分からなかったが、手がかりにはなった。そういう意味では前進だったかも知れない。

昨年も、何かのついでに都市調査、ということはしていた。西日本方面に行く用はあるので、今まで見てなかったところを補完するように、名古屋や広島、福岡の都心から郊外へ、路線バスで移動してみたりはした。そのことはのちのち書こうと思う。

ついで、ではなく、目的にして行こう、それも、手薄になりがちな東北方面も、網羅的に多様な都市を見るという観点では疎かにしてはならん、というわけで、今回、8年ぶりの新潟東北方面に足を運ぶことにした。

行くべきところは他にもあるでしょう。

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新潟なら県庁や鳥屋野潟、内野あたりまでは行くべき、なような気もする。秋田は以前県庁方面には行ったが、南の郊外も突然郊外モールが発達していたり、つまりはその周囲に住宅地が発展しているハズなのでそれがどんなものかを見たほうが良いような気もする。他都市も同様だ。ところで写真が新潟と全然関係ない方向で、私の写真セレクトの適当さが窺える。

ただ、短期間の低予算で1都市を見るのでは効率が悪い。予算を上げようにも、この有益なんだか無益なんだか分からない調査活動に、必要以上の投資をするのを、私自身が渋るのである。

私自身の自由を、私が100%認めない。

社内決裁のように厄介な、自分内決裁が、今回も起こっている。

それは、今以上に心もお金も余裕のなかった、大学生時代はさらにそうだった。それがハングリー精神を生むのか、対立する二項のせめぎ合いで妥協点を見つけるという社会事象の再現になるんだか、なんだか分からないが「やりたいことを30〜40%はやるけど残りは諦める」くらいが、自然で、ちょうど良いような気がする。私が100%、200%、やりたいことをやり遂げていたら気持ち悪い、みたいな感じだ。

私がひとり、突然うまくいったとしても。

なんとも、気持ち悪い。実態を持たず、何かの幸運で一時的にうまくいったとしても、それは長期的な前進とは信じがたい。短期的にうまくいっても、うまくいったことは認めず、その気持ち悪さは拭えない。私自身、私の人生の主人公ではなく、私の人生を傍から暖かく見守り、そして同時に、冷たく手も差し伸べずに眺めている傍観者でもある。逆に、自分のことに対しても客観的である、俯瞰の目が、自分の人生をバランス良く、まぁどうにかここまで運んできた。

私にできるのは、この俯瞰の目で、自分自身だけでなく、人々の群れを、そして社会を、そして都市を見つめ、観察し、それを伝わる形で伝えていくことなのかなぁ、などとも思っている。

それより6時に家を出るはずなのだが、たぶん寝たほうが良い。何かの気の迷いで文章を書き始めると長くなるので、なるべく書かないようにしているのだ。深夜の勢いで書いた文章は酷いものだ。

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