小田原・沼津・静岡ツアー(with 居間theater)2日目

こんばんは、地理人です。
居間theaterツアーには、本日さらに2人合流しました。(→前日の様子はこちら

最近の展示(中村市をめぐる万物収集報告展)で時刻表を作っていた鳴海氏(以下鳴氏)と、うちのWeb関連の下支えをしているシノミヤ氏(シノ氏)です。鳴氏は後にブログでこのツアーで居間theaterを「とにかく自由」な人々を評していました。(密かに私は、鳴氏も自由な人になれば良いと思っています。すこーしずつ。)

2人とも居間theater4名とと初対面で、かつこの2人同士も初対面。朝の東海道線は、多重初対面から始まります。

鳴氏とシノ氏と、ABC層とWeb発信〜の話の有意義な話(兼打ち合わせ)をしつつ、今日は7人の大所帯。お互いに「普段会わない人々」で、おもしろかったようです。・・・と雑にまとめましたが、引き合わせて良かったかどうか(おもしろかったか)気にするゆえ(気にしい)、私が人と人を引き合わせるなんて珍しいのです。そんな、私が引き合わせが有意義だったかどうかの責任を負わんでもよろしい、ということは頭では分かっておるのですが〜

前回は中村市の土地勘把握のため、それに近い都市を回って中村市のエッセンスをつかむ、という目的がありましたが、今回はゆるふわです。各都市(沼津市街地、静岡市清水市街地、三保、静岡市街地)を回りつつ、歩きながら都市を擬人化していきます。

例えば静岡さん(静岡市街地)は、
「中高で成績優秀、何でもそつなくこなす。ダークな面もあるよと本人は言うが、全然汚くはない。育ちの良さと豊かさが全面に出ている。誰も文句を言わないパーフェクトさ、隙の無さがある反面、光る個性はない。モテそうだと人から言われるが実際にはそうでもない。」
というものです。

都市を歩きながらその都市の性格を読んでいくのは、表現を絶えず繰り返すパフォーマンス集団の想像力のなせる業でしょう。

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そういえば、居間theaterとは会う機会が日常的にはない(というか会ってから日が浅い)上、ネットを通じた文字コミュニケーション(メールとかメッセージとか)も個人のSNS発信も、ないか最小限なので、ガッツリとモヤモヤに切り込む話ができる貴重な機会だ、ということに気づきました。

私にとっては何でもない空想地図、あるいは(普通の)地図ですが、一体どんな作用があったのか。
居間メンバーの稲継さんは、先日の引っ越し相談会を通して「空想地図の上だと、(見ている人が)好き放題話ができる、対等に話ができる」という発見があったと言います。突然間取り図が現れると、その中からより良い間取りを選択する作業になりがちですが、地図があることで「ここ空が広くて気持ち良そう」とか「ここ街並みがごちゃごちゃしてそうで苦手」とか、自由な想像の試行錯誤が生まれます。現実の地図だと、その土地を知る人、あるいはアイデンティティを持つ人への配慮が生まれるのも、ひとつの限界でしょう。

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また「失敗することの寛容さ」も一つのテーマでした。
私も仕事面では、確実に仕上がりや結果、価値がイメージできる(保証できる)ようなことをします。しかしそれでは可能性の開拓には限界があります。「うまくいくか分からない試行錯誤」ができないのです。

演劇の世界では、劇場と観客、という構図があり、その中で演者は最大限の表現を行い、それを終始鑑賞する価値、というのは明確です。しかし、「演劇的手法を用いた応用的な何か」は、劇場と観客、という構図をも解体し、うまくいくか分からない試行錯誤をすることは難しいが、それをしている、とのことでした。居間theaterはこの点で「パフォーマーにも、何をしても良いという枠組みを提供している」と言っていたのは特徴的でした。

うまくいくか保証のない、いわば「テスト」はお金にはなりませんが、「これまでの手法では到達不可能な結果を得られるような、可能性の開拓」に価値があると認められれば、アート関連の助成金が得られるケースもあります。ただ、助成金をもらう、手前冒険はしにくくなるので、利益度外視でしている、とのことです。

なんかうまいこと回せないもんかなぁ、とも思いつつ、私も全く事情が同じ状態で空想地図を金にせず、それを支えるためにその副産物を自営業化してるんだよなぁ、と思いつつ。

またしばらく、(一人で)モヤモヤと考えようかな、と思いました。そのヒントとエッセンス、刺激をもらい、今日はA・B・Cのどれも揃っていて言葉を相互に交わしている様子に「いいぞ〜」と思って眺めていました。ではみなさままた近いうちどこかで◎

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