中性化と空想地図は、関係ありません。

こんばんは。

突然の閑話休題。昨年のゲンロンカフェの質疑応答の時間に、元AV監督が私の恋愛事情を尋ねてきたので、「中性化」の話をしました。私が10代中盤から、性欲と恋愛感情の解消を図り、そこそこの結果を出したことです。ある時期に一つの結果が見えたので、いまはもう中性化をやめています。

それはおいおい書くとして、そのゲンロンカフェを見た人や、その話を聞いた人の曲解が、萎えるものでした。

「地図を描くのに集中するために性欲と恋愛を捨てた」

・・・んなわけない。

いかにも、残念な「分かりやすさ」をまとった話です。地図のことしか考えていないのでそれ以外を排除して地図にのめりこんだ人、みたいなね。分かりやすいですね。

中性化の狙いは、シンプルに「欲求不満を解消するため」

もともと中性化を志向したのは、男性は10代中盤で欲求不満状態を植え付けられるから、です。それがない時期(第二次性徴以前、10代前半以前)はフラットに世間と接し、特に不満もなかったのに、それ以降は歪みが出始めることへの反感が強かったのです。欲求というのは、発生しても大抵満たされません。つまり欲求不満という形で出現します。

この現象をお金に喩えると「勝手にローンを組まされ、家を買わされ、借金を負う・・・」ようなものでした。そうなれば単純にクーリングオフ、返品したいと思うのです。もっと言うと、欲求不満を解消する手段は、欲求を満たすか、欲求をなくすか、この二択です。私は解消するという目的のために、より確実なほうを選んだのです。

当時(1990年台後半)から異性との接触を持たずに孤立、独立する男性が増加していることはニュースになっており、私もそうなる可能性は高いと自認していました。叶わない夢を信じる理想主義者の素質はなく、私は時に希望のない現実を認めてその中で最適化を図る、現実主義者だったのです。そして、「欲求のない状態」というのは、10代前半以前に経験しているリアルだったので、こちらにはリアリティを感じていたのです。単純に、この状態に回帰することには希望を持っていました。

・・・と、あっさり書きましたが、私の特殊な傾向があるとすれば「誰もやっていないことをやる」ことでしょうか。躊躇するどころか「それならやる」と言わんばかりです。元々「誰もやってないことをやりたい」という素質もあったのでしょう。そしてその後の成長の過程で、この傾向は加速します。

「誰もやっていない」なら、やる。

私が一人っ子だったこともあって、競争することは得意としません。中学校時代も、受験に近づき多くの人が追い込むと、私は相対的に成績は下がりました、人が多い市場であればあるほど、市場優位性が低いのですが、「人と同じことをしていたら、必ず負ける」と、どこか信じているところもあります。その傾向もまた、誰も図らぬ中性化を加速させた要因と言えるでしょう。

結論は、楽になりたかった、それだけです。
余計なものを削ぎ落としたシンプルな状態を「楽」と思うのは、ある種仏教的と言われることもありますが、仏教も色々ある上に、私も詳しくは知らないので、深くは突っ込まないでおきます。

つまり、中性化に地図は関係ないのです。
もっと言うと、空想地図もそうそうやる気ではなく、あれは暇つぶしの延長で大きくなってしまった地図、で、意識的にやろうと思ったことはほとんどありません。国内300都市を回ったのも、空想地図を描くための取材、と解釈されがちですが、これも違います。ただ行きたかっただけです。これは少ない予算で(普通列車移動のため)、行きたいという希望を簡単に叶えることができ、悪影響のないアクションなので、この「行きたい」は自主規制することなく、叶えられました。

空想地図は、なぜ残ったかと言えば、何より原価がかからないこと(手描きなら紙、PCならPCとソフト代程度)、一人でできるので周囲との関係性に左右されないこと、3年やめても途中から再開できること、です。暇ができて「なんか作りたい!」となったタイミングが重なれば、空想地図は広がるのです。そしてこれは、金銭的な支出も伴わなければ、自身の人間性および人間関係にも悪影響を及ぼしません。つまり、自主規制する理由がなかったので「残った」限りなのです。

中性化の進行と中止ついては、おいおい書きますが、空想地図についてもいま、再考する気運になっています。

空想地図の「展示」にパワーを感じる。

ちょうど先週末まで、同じく空想地図を描く芸大生の原田くんが、卒業作品展に空想地図を出していました。彼の「来てください!」という言葉に感じられるエネルギーもさることながら、行って見てみると、かなりの気合い(とお金)をかけているのも分かりました。

ふと、我に帰ってみると、2回の展示の機会は受動的に得て、かけたお金は合計3,000円くらい。SNSで一斉告知はしましたが、「来てください!」というエネルギーはなかったと思います。

そりゃそうです、空想地図作家を名乗っておきながら、私はロマンティシズムのかけらもない現実主義者の側面を持っています。こんなお金にもならない、評価にも価値にもつながらないことを全力でやろう、それだけに集中しよう、と思ったことは一度もありません。

今でこそ、書籍化やイベント、空想地図を発端としたデザイン、地理情報の編集等、空想地図の副産物で食えていると言っても過言ではないので、その価値は後天的に認めるに至りましたが、それでもこの価値は何なのかはよく分かっていません。

私の中の「頭」と「手」

そして、こうして論理的に意思決定をしている私の「頭」は、いま書いたようなことを考えていますが、私の細胞である、無意識に動く「手」は、「お金にもならない、評価にも価値にもつながらないこと」にこそおもしろみを感じ、勝手に進めようとします。ある種私のこれまでの歴史は、この「頭」と「手」の攻防とも言えます。頭は、手の危険な面を徹底的に規制しますが、危険性のない部分についてはとことん自由に、放任主義です。手は、手だけで生きていくことができず、世の観察や世との関係づくりに長けた頭によって生かされていることを知っています。そのため、手は、頭にクーデターを起こすこともありません。

もういっそ、頭を国家、手を国民と喩え、色々な国の近現代史と比較したほうが分かりやすいのでは、と思います。昔からそんなことばかり考えています。

表現することの重要性が、まだ自認できていない

話は「表現」に戻りますが、展示を重ねる以前からも徐々に「表現者」との接触は増えていました。私から見ると、表現をして生きている人は凄い、と端から見ている立場でした。しかし、徐々に何故か仲良くなり、私を表現者として見てくれる人も増えたのは、私にとって不思議でした。手が勝手にやったことの評価に、頭が追いついていないのです。

私の「表現することの重要性」は、自分では充分につかめていません。先週末の展示は、私の中で空想地図が主力産業として認められておらず、ある種の余暇活動、副産物として続けられている名残はまだまだ強いのだ、ということを思い知らされた機会でもありました。

今年は表現の重要性、空想地図の重要性は高まるか

今年は少しずつ地理人研究所の仕事も回ってきて、金策の緊急需要が相対的に弱まることで、表現の重要性は相対的に強まっていくだろう、とも踏んでいます。それを強めてできることを考えていこうと思います。「空想クリエイトラボ(仮)」というものを構想していますが、そろそろ企画にまとめようと思っています。

「金策の緊急需要の弱まりで、表現の重要性は強まる」…このあたりの考え方は、いかにも私の「頭」っぽい考え方ですね。それこそ私を表面的に知る人は、私の「手」に主権を与えろ、と言うんでしょうけども。そんなロックな人生は、私の頭と手、ともども反対です。

大抵の人は理性と感性は対立するか、領域を分担します(仕事は理性、恋愛は感性、のように)。
私は、理性と感性にあたる、「鋭く世を読み解こうとした頭」と、「とにかく試行錯誤を絶やさぬ手」・・・この稀な二者の巧みな連携で今が成り立っています。人生だけでなく、空想地図単体で見ても、頭と手の連携があって初めて生み出されたのではないか、と思っています。

恋愛感情と性欲を排除しようとした地理人の中性化。これと地図、空想地図は全く関係がありませんでした。ただ、共通しているのはどちらも自身の中で比較的冷遇されてきた、ということです。

前から少しずつ進めてはいますが、改めて私自身の中の要素、資源をじっくりとみつめ、また少しずつ育てていこうと思います。

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