京都の多様な面が、感覚的につかみやすい…そんな地図を作った、アノ人。

さて、本日は本の紹介です。
岸本千佳著「もし京都が東京だったらマップ」(イースト新書)

昨年、Twitterを発端に話題沸騰、出版に至っています。要注目です。
この「もし京都が〜マップ」は、京都のあらゆる地域を「東京の具体的な街で喩えた」地図で、世界に衝撃を与えました。

地図を作って岸本さんがTwitterに投稿した直後、こりゃおもしろい、と思って私もすかさずRTしましたが、同時に「やられた!」とも思いました。こういった地理的な感覚の置き換えは、私がやりたいことでもあり「その手があったか!」と良い刺激になりました。

そうそう、10年前、ソウル近郊の水原市で「このへんは大宮と川越を足して2で割った感じだな…」と感じたり(首都から30km離れた100万都市で、内陸にある道・県庁所在地でもあり、歴史的な町並みもある)、3年前、サンフランシスコ郊外で「このへんが八王子か〜」とか言いながら移動したのを思い出します。

そうは思っていても、それをそのまま記録せず、何か統一的な指標を作ろう…と思って、5年前に作ったはいいものの放置しています(圏域・都心基準。突如機会を得てあと半年くらいでリリースできそうです)。…が、岸本さんの地図を見て「そうか、そのまま喩えるのもアリなのか」と気付かされました。

私が話題にする前に、色々な人やメディアが話題にしているので、本人の発信記事も含め、詳しくはそちらをご覧ください。

「もし京都が東京だったらマップ」を見てみよう

もし京都が東京だったらマップ(旧ブログ)
…発端となったマップです。

「もし京都が東京だったらマップ」の魅力(cakes)
…マップを作った経緯、どんな狙いがあって、どんな人に見てもらいたいか、そして書籍の中でも紹介されているような、街の見方の具体例も書かれています。

続いて取材記事。

withnews / 「もし京都が東京だったらマップ」が話題 制作者の「街を見る力」

SUUMOジャーナル / 『もし京都が東京だったらマップ』の作者に聞く “いま”の京都

exciteニュース / もし京都が東京だったらマップ』にみる”街の見方、感じ方”

見る人の感覚と経験から「街を見る」視点を作る

街と街の比較だけ見ると「そうそう!」「いやそうじゃない」と賛否両論出るかもしれません。
いやいや、この地図は「アノ街は、コノ街と一緒だ」と言っている訳ではないのです。

「この街とこの街を比べてみると、見えてくることがあるよ」という一つの視点の提案なのです。
で、それは地図を見るだけでは分からないので、本を見てみましょう。

街の成り立った経緯から、その街の今の様子、地元での位置付けについて、それぞれの街を紹介しつつ、類似点と相違点と紹介しています。そう、比べてこそ、似ている所と違うところが見えてきて、東京という街の材料で京都の色々な街を知る手がかりがつかめるのです。

京都の街は多様である

岸本さん曰く「京都は全体的に神楽坂のような街だと思われているが、それは一面に過ぎず、あらゆる面の、あらゆる街がある」ということなのです。これについては私も同感でした。

・・・関東の人間は、JR東海の「そうだ、京都へ行こう」のCMの印象に毒されている!あれは、京都の建前の一面にすぎない・・・金になりそうな古都の価値が最大化する一面を切り取っただけで、それが東京人の憧れの「京都」像として出来上がってるってなんなんだコノヤロー・・・

…とか思ってました。アレ?…同感というより、私の発想がガラ悪い・・・;汗

もともと私が京都嫌いだったこともあり、「そうじゃない京都」ばかりを探り、六地蔵、洛西ニュータウン、向島ニュータウン、醍醐…など、今回の「もし京都が東京だったらマップ」のさらに外側の京都市内を回ってました。ただ、内側の京都にはおもしろい人や文化が集まり、知り合いも増えてきたので、少しずつ回り始めていたところでした。もともと「東京23区嫌い」だったのに、今やえらい真ん中に住んでいたり…私はそんな矛盾を抱えながら生きています。そんな私の個人的な話は置いといて。

観光目線以外の京都の「日常」目線がある

京都に限らず「その街の日常の情報を知りたい」と常々思っていました。例えば京都の情報については、観光名所としての見どころや、歴史的なウンチク、高いお店の情報が多くを占めます。私が知りたいのは「地元の人はその街をどう思い、どんなときに行き、どんな印象か」あるいは「どんな人が住み、どう動いているか」といった、「ふつうの話」です。地元では普通でも、外からそれをうかがい知ることは…案外難しいのです。

本文中に、北大路にはビブレとバスターミナルがあり、京都北エリアの中心地としてアテにされている(要約)という記述に「そうだと思ったけど、やっぱりそうなんだな…」と思ったり(実際あのビブレは結構アテになります)。四条〜五条河原町も、市街地に近い割には人が少なく、かつ古くからの地場の雰囲気でも観光客寄せでもない、新たなモノ作りの試行錯誤がセンスよく試されており、それは確かに蔵前に親しいのですが、これも観光ガイドに載らないポイントです。

京都駅は京都人は日常的に行く機会がなく、新幹線の駅があるターミナル駅(として東京で言うと品川)…これも言いえて妙です。実際のところ京都駅は品川よりは買物スポットになっているというか、滋賀県民にとっての「近くにある一番大きい街」であったりもするのですが、ここで一番伝えたいのは「駅だけ見るとでかいけど、地元の人が一番集まるような、新宿駅や大阪(梅田)駅ではないよ」ということです。熊本における熊本駅とか、松山における松山駅とか…と通じるものがあります。福岡における博多駅、も遠からずです。

そしてもちろん、私の知らぬ情報、地元感…も多々ありました。もともと私は京都に詳しくないので、「へぇ」な新発見が結構ありました。「あれ、出町柳に商店街あったんだ…」とか。乗換だけで使うと、案外見落としているものです。

博愛主義的「街の見方」

東京も京都も「コアな街」を多く持ちますが、コアな街は特定の志向に寄った人に紹介されがちです。
たとえば中央線沿線や下北沢が好きな人は、その魅力には狭く深く没入するものの、その要素がない街にはほとんど関心を示しません。逆にそれを煙たく思い、東京の東側の飲みスポットに精通する人は、やはり西側の街に興味を示さなかったりもします。

京都についても、歴史を愛でる人は、歴史のない所に関心を持たず、観光地を単に追いかける人は、人気のない所に興味を持たず…
大抵、そういうものです。

「もし京都〜」では、特定の趣向に寄らず、あらゆる志向の人、あらゆる生き方をする人を、分け隔てなく見つめ、多様な人それぞれの本位を追って見つめようとしているのが特徴的です。(そして私はそこに共感しています。それがものすごく「地図的」でもあるのです。地図は特定の街だけ詳しく描くことをせず、描くと決めた範囲は、均等な精度で映し出し、ひたすら俯瞰を貫くのです。)

左京区の自由人も、御所近くのブランドを纏う人々も、オシャレ感の全くない地域の人々も・・・いますが、どの地域にも肩入れしすぎず、どの地域も無視せず、その地域に息づく人本位の視点を追おうとする姿勢と、それによって得られる土地勘(その観察眼と姿勢があれば土地勘はつかめるのだよ、ということ)が、実はこの本のミソだ、と思っています。

ではちょっとやってみよう、「東京⇔大阪の置換え地図」

ちょっと私もやってみよう、と雑なことを考え、実際やってみると・・・結構むずいものです。

こうして作ってみると、東京の中で似ている街の微妙な差異や、大阪の中で似ている街の微妙な差異を見つめて選り分ける感性が求められますが、これが案外難しい。そして、自分の得意分野と不得意分野に気づいたりもします。例えば私はノンアルコーラーということもあって、飲み屋街には詳しくないのです。大阪はその要素が強いので、そのへんの観察眼が求められます。

でも、大阪の南のほうは東京の東のほうで(旧来からの住民が多い)、大阪の北のほうは東京の西のほう(外来の新住民が多い)、という相関は出ましたね。全体的には東京の東の街が多くなりそうですが。(そりゃ東京の西側的な街が多数出没する都市なんて珍しいでしょう)

というわけで、余談の自主トレでした。これは色々やってみたい…。東京だけでなく大阪とどこかの地方都市とか。福岡なんてとても東京と対照させやすいし、札幌は東京とも大阪とも対照させやすい。色々浮かびつつ案外むずかしいので一旦手は止めます。

今後の動きに注目していきたい

同い年の友人でもあるのですが、ありがたいことに京都に来たときに「会いたい」と言うと「はい喜んで」と会ってくれるので、ありがたやです。
私は岸本さんの視点だけでなく、動き方にも注目しています。

ここからは個人的なメモ代わりでもありますが、ポイントは地図を作っただけでなく「その後」です。
例えば、三浦展さんという(私は近づけない)大物を師としていますが、「師をみつけ、追ってみる」こと、トークイベントもされていますが、「誰と対談するとおもしろいかを考え、打診する」こと・・・その後の「展開」を考えているのが、私にはないというか、私にはできないところ…なのです。これって、自分の価値がざっとでも分かってないとできないことなので、それが分かっていると、展開も自分から打てるんだな…ふむふむ、とさせられています。

ええ、私の場合、イベント時々ありますが、出版記念のイベントはありませんでした。あとは…毎回イベントの告知も、1回だけで、そんなに強めではないですよね。イベントはほとんど、依頼をいただいたもので、ほとんど「自分から仕掛けてきた」ことはありません。私が比較的受動的に動いているのは、自分から動くようなエネルギーや気合いがないから…と思ってましたが(まぁそうなんですが)、「動いたら何がどうなるのか」のイメージが全く掴めていないから、でもありました。

世にない仕事を始めたは良いものの最初は仕事がなく、ひょんなことから本を出すようになり、周囲からの反響に育てられながら、新たな仕事を探り探り作っていく…そんな人の動き方のサンプルは案外少ないので、岸本さんは私にとっても貴重な、生きる姿なのです。そんな訳で今後も注目していきたいと思います◎

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