2015年 1月 の投稿一覧

アイデアのアウトプット

いやはや、鼻の詰まりが・・・

・・・って、実際に鼻が詰まっている訳ではありません。
なかなかアイデアを価値にするのは難しいのです。まず、私が何がしたいのか分からない。なんとなく分かったとしても、それがシンプルなことのハズなのに、言葉にするとやたら複雑になる。自分でも理解できないから、人にも理解されない。そのようなものを持ち合わせてしまったとき、それを形にして、価値に変えて、生活の糧になったら良いですよね。

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図にするとこうなります。
多少の言語力で、これを伝えることもできなければ、形にも価値にもならない、と。

さて、私がやるべきこと、ミッションといいましょうか、だんだん見えてきました。それは「地理情報の中間情報の編集」です。1/18に、ある会社向けの提案書を作っていてこの言葉がひらめいて、少し鼻の詰まりが解消されました。

しかし、アイデアを形に、価値にするために、自分が今持ち合わせている力だけでは足りないことをハッキリ認識する契機でもあります。

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さて、何が必要なのでしょう。私が今までオススメされたツールや、必要性を感じるツールを挙げてみました。

デザイン…これはこの図を作れる程度には回ってきましたが、これがあって助かっています。地図や、その他の完成イメージ、思考のフレームワーク整理、名刺からWeb、よさげな提案書まで自力で製造できます。これが自身の活動のコストカットになっていることは間違いありません。

あとは、私の周りの、ウオーと思うまともな人は、研究者と技術者と事業主でしょうか。みな、自分のツールは「簡単に使えるもの」という前提で薦めてきます。「自分が使える」前提は良いんです、使えるんですから。なぜか「私が使える前提」になっていて驚きます。

「簡単にオススメされるソレが簡単に使えないっての!」

・・・叫びはこのあたりにしておきましょう。

〈研究という道具〉

私の中で、いや誰がどう考えてもハードルが高い、と思うのが「研究」界なのですが、この人達もなんというか、私と一切壁がなく、同じ世界にいるよ、みたいな感じで会話を続けようとします。あなたには見えていて私には見えていないそのリテラシーの差、このマジックミラーのような溝を発見して楽しんでいます。結局それを楽しんでいるだけで問題解決には繋がらない訳ですね。

〈技術という道具〉

技術って言うと広範囲過ぎますが、ここでは情報解析やプログラム解析等に絞ります。そう、こうした技術屋さんも・・・突然専門用語を飛ばしてきます。私が通じる人だと思ってしまっているようです。確かに「パソコンぜんぜん使えな〜い」という訳ではありません。

キーボードも、クリックも、そこそこできます!!

↑この程度です。つまり実際のところ初中級。初心者から見たら中級だし、上級者から見たら初級者です。ダサい「ホームページ」しかなかった1990年代、CSSなんてなくてもHTMLタグだけ書いていれば良かった時代、ホームページは作れました。しかしそれから世の中がややこしくなって、CSSを埋め込んでキレイなWebを作らなきゃいけなくなってから、匙を投げたくなる程度の人間です。

つまり地理情報システム(GIS)も使えなければ、何かしらのプラグインを使ったり埋め込んだりしてアレをアレするようなことはできないのです。

情報の解析と可視化みたいなことを私がしたとすれば、それはIllustrator(デザインソフト)とExcel(マクロ・ピボット不使用)です。

Excelで使うのは、四則計算(+−×÷)とグラフくらいです。

〈ビジネスという道具〉

このセンスがあったら人生苦労しないよ!マッタク!

・・・と思うのは私だけではないのですが、ある人はなんかサラッとやっちゃうんですよね。いやはや困ってます。まず私が見たことがないものを作ると、市場価格がない(or分からない)ので、価格がつけられない。相手もつけれない。話が進まない。

そして・・・上記の「足りない道具」を借りようにも、どこに当たれば良いか、どのくらいの価格と契約が必要か、も分からない。

そして・・・資金力もなければ、それをパッケージにして価値に転換するセンスもない。

ないない尽くしです。

研究の世界に行く人は、ここに行かない!行けない!からの反動で行く人も多いようなのですが、私は逆に研究界に行けない!という反動が大きかったので結局ここに行き着くしかありません。(その変な反動で、何故か最初場違いな会社に就職してしまったのですが。)

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実例を挙げてみました。

デザインの力のおかげで「とりあえず一次イメージとして形にできる。」
・・・この1つの穴が空いていたお陰で次に進めたのは確かです。

実際は、デザインの力で空想地図およびその付帯物ができ、Webを作っておいたことで誰でも見られる形になったこと、そして友人知人が多かったので、イベントに自分から行かない私でも誘われる機会が増え、たまたま行ったイベントで取り上げてもらい、それを見つけたフリーの編集者が私と出版社を落とし、本が出版された・・・

という、意外な一発目のパンチが社会の壁に到達した訳ですが、それはこの4つの◯にない「高度な文章力」を借りることができた、というか「高度な文章力」がやって来たためです。

これで強力なツールを得られたとはいえ、私は文筆業になる訳でもありません。あと時々勘違いする人がいますが芸能方面でもありません。(テレビに数回出たからって…)

どのようなプロダクトを生み、どのような価値をどこにどう提供していくのか・・・それを考える序章に過ぎません。

それで、「高度な文章力」がやって来たときのように、偶然を待つだけでは、生きているうちに来るのかどうか怪しいところです。

というわけで、自力で少しずつジリジリ侵食しながら、少しずつ良い道具の発見→連携のセンスを磨いていく他ないな、と思った夜でした。あ、朝になってしまいましたね。(7:11)

特定圏交流と越圏交流

前からなんとなく感じていたが、人々の交流の範囲が人によって異なる気がしている。

大きく2つに分類してみた。学校や会社等、共通の接点を持つ輪、コミュニティを特定の「圏」とすると、その特定”圏”内で交流する人々と、この”圏”を越えて交流する人々がいる。もちろん、両方の顔を持つ人もいるが、世の中の大多数は、特定圏交流である。

・特定圏交流…同じ学校(クラス/部活)や会社の接点。深い仲の友人が圏内で数人。
・越圏交流……共通の所属組織は無関係。友人の友人もすぐ打ち解け、人数が特定できない。

例えば結婚式で、参列する関係者が「中学友人」「会社同僚」みたいに明確に分類できている人がいると、特定圏交流の人なのだと実感する。特定圏交流メインの人は、比較的年賀状もマメで、結婚式も開催する確率が高い。その反面ソーシャルメディアにはそこまで積極的ではない。

最も特定圏交流を実感するのは、同窓会だ。同窓会と言っても大規模なものではなく、それこそ数人の同期が定期的にお茶したり飲んだりするくらいのものだ。特に女性は、この頻度が高い。私の高校の元文化祭実行委員の面々(女性)は、よく青いSNSで集まっている写真をUPしているのだが、その頻度が、多いときは毎週くらいの勢いだ。もうこれは、文化祭が実行できそうなレベルである。

特定圏交流の場合、内と外が比較的ハッキリしている。内の人数はそこまで多くはないので、それこそ「集まる」と言っても、例えば土日休みであれば予定を合わせやすいのだ。

さて、越圏交流は少数派だが、実はシンプルだ。所属団体や接点は関係ない人でも「おもしろい」と思ったら、自然と友人知人になる。そして、2〜3人の知人の輪に、初対面(その中の誰かの知人)が入ることもある。「初対面か、何十回も会っているか」は、そこまで大きな誤差ではなく、ひいてはどこまでが親友、友人、知人なのか境界線を引くことが難しい。

関係者を特定しにくく、カウントすると膨大な数になるため、年賀状や一般的な結婚式(披露宴)は向いていない。その代わり、関係の深い人と浅い人を同列に扱い、かなりの人数を受容する青いSNS(Facebook)は重宝される。以前はTwitterもその機能を担っていた。結婚式(披露宴)よりも、それより敷居が低い結婚パーティーのほうが開催しやすい。

しかし、初対面と言うと全く接点がない訳でもない。総じて越圏交流の人々は知人が多く、共通の知人がザクザク発掘される。これは青いSNSだと瞬時に判明する。つまり、ゆるやかに大きな「圏」を形成しているとも言える。怪しい人や危険な人は、紹介されず関係も広がらず、よほどの場合はその情報も広まるため、内と外の境界線がないぶん、それがゆるやかなセーフティネットになっている。

私自身の人間関係は、9割5分が越圏交流で、それぞれ平均すると年に1回ずつ、高校、大学、会社の人々と交流することがあるくらいだ。私は人を誘わないし紹介しないのだが、人見知りは全くなく、初対面の人と話すのは結構楽しいので大歓迎。そして、私の周囲には人を誘うし人を繋ぐ、いわばコネクターの人がたくさんいる。それによって友人知人は増え、いつしか仕事になっていることもある。そう、仕事とプライベートという境界線もない。月1回意識的に会う人もいないが、その頻度も特段問題ではない。

特定圏交流の中で話していると、仕事とプライベートの境界線を感じ、同時に友人知人かそうでないかという境界線をハッキリ感じる。また、特定圏メインの人は、あるときまで他人だが、どこか心を許せる瞬間を通過すると親しい知人となる…外から内に変わる感覚がある。逆に言うと、浅く広くの越圏交流にはそれがない。

特定圏交流において、「友人の紹介で初対面の人に会う」というのは、何かしらの用/目的があるか、恋人探しくらいのものだろう。昨日は、同じ高校で、そこまで会ったことはないがそこそこ接点はあった人(女性)と、たまたま現住所が近所だったので、10年ぶりくらいに会った。個人的には、毎年会って近況を知っている知人よりも、未知のほうが気になる。そこで誰も誘うアテはないものの「誰か誘う?」みたいな流れになったのが印象的だった。

…そうだ。特定圏交流では接点の少ない男女が1:1で会うことは少ないのだ。越圏交流が日常だと、男女で会おうとそれは恋愛のスタートラインでもないし、ただ人間と人間が会っているだけの話だ。最後に気になったので高校の面々との交流を尋ねてみると、2年のクラスで仲が良かった人とは月1で会ってる、とのことだった。

多くの人は特定圏交流のみで、私は極端でほぼ越圏交流寄りである。しかし、特定圏交流と越圏交流の両者を持ち合わせている人もいる。私がいま気になっているのは、彼らがそれを意識せずとも、無意識で感覚や行動が変わるところがあるのではないか、ということ。例えば特定圏だと昔の話をするが、越圏だとそうではない…特定圏だと新たな知人を呼ばないが、越圏だと呼ぶ・・・等。それぞれに楽しみを見出し、それぞれの楽しみ方を体得していると、それぞれの交流方法が身についていくんだろうな・・・とか考えるとなかなか興味が尽きません。