誕生日について

毎年、「誕生日は祝われるべきだ」という常識に歯向かうように、Facebookの誕生日設定を非公開にし、当日もそのことを告げず、淡々とふつうの一日を過ごそうと努めていた近年でした。

しかし、もう私にはほとんどのしがらみがありません。そこまで力まなくてもふつうの一日を送ることは可能です。今回は30とキリが良いので、Facebookをイジることもなく、おまけに誕生日らしいことをしてみようと、本の原稿の文面をひねり出すのに居心地の良かった蔵前のお店で、ひとりノンアルコールカクテルとごはんを食べて、のんびり思索にふけっています。

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これが世間の「誕生日らしさ」とは違うのかも知れません。しかし私は多くの友人に恵まれ、寂しさを感じることもなければ、誰にどうしてほしい、良く思われたいと思うこともありません。人からされる期待も、私が人にする期待もゆるやかです。望むことや欲をそぎ落とすことは、私にとってアクを取って素材の旨味を活かすことのように、淡々としつつ気持ちの良いことでした。

そんな平穏な日常を感じることが、表面的な高揚感よりも充実感を感じます。いまの日常を、改めて染み入るように実感する・・・そういう意味で、「ふつうの一日」と少し異なる味わいの夜を過ごそうと、仕事の懸案も作業も持ち込まず、ひとり過ごしています。
私は、誕生日が何故、過度に「おめでとう」と言い、言われるのか、よく分かりませんでした。おまけに、誰も教えてもくれません。先の日記で書いたように、「親から、生まれた日だと伝え聞いた日」で、戸籍上の年齢が1歳上がる日でしかありません。

誕生日にFacebookを通していただくメッセージを見れば、「めでたい」理由や内訳が書かれているものはほとんどありません。強いていえば、「出会えたこと」「生まれてきたこと」へのめでたさです。無償の愛と言うべきか、その人の存在そのものをただ肯定するというシンプルなメッセージです。

確かに、何でもない日に「この世に存在してくれてありがとう」と言われたら、多少ビビります。「どうした?」と。そのシンプルな感謝、発露をする機会は、意外とないのです。誰にでも平等にあり、その人固有の日で、1年に1度来る誕生日は、こうしたコミュニケーションに絶好の日、ということでしょう。それが習慣、文化になっているとすると、なんとなくこのやりとりも理解できます。
私も久々に「おめでとうございます」→「ありがとうございます」のやりとりを重ねました。たとえ私が最大限怠惰な30年を過ごしても、「おめでとう」と言われたのでしょう。それが博愛のひとつである、誕生日祝福という習慣でしょう。私は空想地図制作者でありながら、現実味のない夢に浸ることは難しく、シビアに現実を直視することの好きな現実主義者です。他者や社会に対してよりも、そのメスはより自分に鋭く刺します。

隅田川の風を浴び、人々の幸せそうな日常に囲まれ、ゴハンを食べながら、30年間…というと多少長いので、ここ10年を簡単に振り返ってみました。

10代は全般的に沈滞の極みだったのに対して、20代前半は混迷の極みでした。それに比例するように、悶々と書いた文章も多々あります。当時の私のまどろっこしい文章は読みにくく、適当に読み流しつつも、その内的な煩わしさはここ3年で急速に少なくなったことを実感します。

そういう意味では、より安定してきたのでしょう。20代はバラバラの感性を思索がまとめ、どうにか一人に人間として生きてきましたが、もう比較的自然に生きて良いということでしょう。

ただ、まだ課題はあります。私は明確でない価値に、自分の生計を委ねることができません。それでいて、私は運転免許その他の資格を一切持ちません。明確な価値しか信じないくせに、明確な価値を全く持ちません。持っているのは価値付けも難しい空想地図を発端とした、よくわからない独特の地理情報編集センス?です。不確実性を嫌って新卒では会社員になったものの、確実性が身につくか、感じるかは自分次第でした。そういう意味では、会社員だろうとバイトだろうと訳の分からない個人事業主でも一緒です。

あまりそこに確実性を求めず、ゆるやかにこのよくわからないものを信じることも、時には必要なのでしょう。そのような頭の柔らかさが、30代になって身につくと良いのでしょう。そのことが、精神的にも生計的にもさらなる安定をもたらし、一人で完結することなくより豊かなお裾分けができることになるでしょう。

そんな思索にふけってこそ、節目と言うものでしょう。良い日になりました。

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