次の山が見えない。(個人的な振り返りと展望の長文メモ)

さて、最近の私は何かの試練でしょうか。プラスかマイナスかと言われればマイナスを低迷しています。とはいえこう、感情の波みたいなものはありません。そういう意味では極めて安定しています。ただ意気のようなものが安定的に低い、と言うと適切でしょうか。そろそろその波が来る…と思いましたが、たぶん今回のは1ヶ月以上続くでしょう。長いことかかる根本的な解決を考えながら、どうやり過ごしながら少し解決糸口を見つけるかが課題です。

一言で言ってしまえば、色々なことを一人でやってきてしまったのです。今ある孤独は、そのことのツケのようにも感じられます。
とある知人に(私を)「便利な相談役くらいにどこかで思ってるようで」と言われましたが、私こそ相談役が欲しいのです。ただ、そういうのが上手くありません。「誰もやってない試行錯誤」を自己流で重ね、いびつな特性を感知しながら、私の不得手を不得手のままどうにか活かして前に進む、これまた自己流の運転でどうにか生きています。

私自身「何に負担がなくて何に負担を感じるか」のムラが、かなりあります。
たとえば、私は想像すること、考えること、作ることには負担がありません。ただ、外から何かを取り入れる(学習する・インプットする)ことには多少の負担があり、かなり負担が大きいのは「人へのアクション」で、その根源には「根拠のない自信を持つことがない」ことがボトルネックになっています。その他、「勝負はしない」(負ける可能性のあることはしないが、リスクヘッジができていればする)という特性もあります。

インプットに負担があるのは、これまでの多くはない読書量、私自身がそこまで学校で好成績を得ていないことや、これまでほとんどの資格を習得していないことにも現れています。それこそ東大早慶卒の人や大学院で果敢に研究をする人と対等に話をしていると、そのことを時に忘れそうになりますが、私にはそういった弱点があるのです。

また、「与えられた環境を自分のフィールドにできない」ことは、学校や会社を自分の主活動場所にできない弱みでもあり、なんとなく「母校」と感じる所がないことも意味します。とはいえ最初は、人より劣るパフォーマンスながら、どうにかどこかの環境でへばるように生きていこう、というのがせいぜいの策でした。それが会社就職に至るまでの私の選択でした。ところが、平凡な平社員でいることを許さぬ社風でもあったので会社は辞め、与えられた環境に頼ることのできなくなった私は、「自分で自分の環境を作る」しかなくなり、今に至ります。

「人と同じことをすれば何をしても劣る」上に「不確定的なものを売ったり、人を巻き込んだりできない」という2つの要素が掛け合わさると、詰んでいると言っても良いでしょう。「人と同じ」ではない独自性の強いことは、その価値は不確定的です。で、私は自分からそれを売ったり打診したりできず、自分からアクションできないとなれば待つしかないのですが、「まだないもの」について、人から仕事の依頼は来ないからです。

そこは不器用ですが「作ること」と「考えること」の連鎖で乗り切ります。少しずつ、依頼がなくても色々と目指す形を試作したり、来た(普通の)依頼を、少しずつその「独自性」を活かせる形で返したりして、少しずつ風向きを変えていきます。なので人が本気出して走る速度と比べれば極めて歩みはゆっくりです。

しかし、特性がいびつで、かつ元がポジティブでない私が、よくもまぁここまで来たとは思います。少し目立つ割に大したもんじゃありません。出世街道に乗る会社員に比べるとそれよりちょっと下、くらいじゃないでしょうか。「バランスのとれた最低限の大人」みたいなラインにようやく乗ったのは、大きく評価すべきものでもありませんが、まぁよくこの不安定要素揃いでここまで来たなとは思います。
さて、分かりやすいので空想地図作家を名乗って(?)いますが、おそらく空想地図を作っている時間は、おそらく活動時間の3〜5%ほど。したくてもできないというよりは、本腰が入れられない(空想地図を主軸にすることには納得感がない)というのがその原因です。ただ、将来的にはこちらに本腰を入れたほうが良いように思うので、どうすれば納得するかを考えています。

最近は漸減傾向ですが、取材や出演の9割以上は空想地図に関するものです。それも「ナンジャこりゃ」というインパクトとともに、「いつ・何故始めたか、これからどうしてきたいか」に答える形も定番となりました。本が出てテレビに出てから、この傾向に3年間変化はなく、同時に空想地図内も少々の改訂はあれどほとんど変わっていません。そしてそのことを気にする人もあまりいません。

人は私に何を期待するのでしょう。空想地図をただ描き続けることでしょうか。それともイベント等…露出することでしょうか。それも多少ありそうですが、現状以上でも以下でもなく、現時点では地図は気が向いた時にできる範囲で、露出は何か依頼があればする、くらいがちょうど良いと思います。ただ、営業をしない私の自営業が成り立っているのは、多少なりとも人が私に何かを期待しているからでしょう。

それは分かりやすい「空想地図を描く作家」としてではなく(つまり展示や出演…といった仕事ではなく)、全般的に言えば「都市や地図の複雑な有象無象を、感覚的にわかりやすく伝える」あるいはそれを「つかめる仕組みを作る」ことです。それこそ東京メトロの冊子のコンセプト&台割作成、ゼンリンの新プロジェクト(街情報サイトと地図グッズ)、日経ビジネスの記事、大学でのゲスト講師や企業研修…は、デザイン、記事ライティング、そのどちらでもない関与…まで様々ですが、やっていることはそういうことです。

空想地図も、「絶対行けないのに、行ったつもりになってしまう」もっと言うと「見た人の生活感や経験が思い出されて、脳内で組み立てられてしまう」不思議な装置です。これも、こうした都市の複雑な有象無象を感覚的に伝える、つかめる一つの装置でもあると思います。その効能を抽出し、そのエッセンスでできることを拡げたい、というのが、今後私がやりたいことでしょう。こうした活動が(仕事含め)回ってきて、金銭的にも時間的にも余裕が生まれたら、空想地図制作も納得してぐんと進むことでしょう。

今、私はざっと「空想地図という趣味と、空想地図の副産物で地理とデザインに関する仕事を本業にしている」という説明をしています。それが別個に存在するかのように。しかし「地理情報の編集とデザイン」という枠組みの中に入った一連の活動で、こうした大枠の「地理情報の編集とデザイン」屋として期待されたり、取材されたり、という流れになれば、ようやくこの流れで良いのだ、と実感できるのかも知れません。

ただ、私に仕事を頼んでくれる方々は、それを言語化・明言はしないものの、なんとなくその勘を察知して来られるのだと思います。しかし、それ以上に、私がそういうことをしているのは多くの人が知らない(わかりにくいのか、そこには興味がないのか、あるいはただ認知されてないだけなのか)のです。

それこそ先月山籠もりしましたが、ちょうど、本の話が来ました。本では「地図感覚」と題して、空想地図の空想力をもって現実の都市や地図を見ても、あらゆるストーリーが浮かんでくるエッセンスを説いてまいります。例えば地図を見ただけで、そこがどんな風景でどんな生活感か…読む人が感覚的に自分のちょうどいい街を探すことができるような指南書を目指しています。これも暗に、空想地図単体に焦点を当てられる流れから、大枠の地図感覚伝達屋になるべし、というシフトがあるのだと思います。
7〜8月、なぜか仕事がない時期となっている今ですが、2年前のように「夜勤で小銭稼ぎ」するのは今の私にとっては「逃げ」でもありそうです。2011年4月のIT企業退職、それからゆるい勤めと弱い自営のハイブリッドでしたが…2014年1月から自営業に強くシフト、昨年法人にはしてみましたが、今このタイミングが一番もがきどころなのだろうと思っています。

人の反応や評価がなくても黙々と…地理情報編集デザイン屋として価値を提供できる「次の形」を作り続けるエネルギーをどう担保するか、周囲の遠くない人を少しずつその気にさせながら、少しずつ作って積み重ねること…でしょうか。まだまだ全然足りてないんですが。やることタスクリストを作ったらすごい数になりました。これ全部一人でやるのか…優先順位をつけなきゃアカンですね;
例えば原型が6年前からできているのにその先に進んでいない「住みやすさ基準」は、検証と細分化、パッケージ化に課題があります。より確実な値を出すために他にどの変数(基準)を使うか、そしてどういうターゲットにどんな価格でどうパッケージにするのか、そしてそれをGIS(地理情報システム)を使えない私が一人でやるのか、人を巻き込むのか(しかし金はない)、ウーン、というところで止まったままですが、これを乗り越えるには、今のところ「その他の仕事でもう少し稼いで研究費を担保しよう」とかいう結論になってます。その他の仕事とは…今は言えない地域情報サイト向け素材(これも採用されるかは分からないが採用されたらちゃんと仕事になる…賭けだ;汗)です。

すると、雑に研究費などと言ってみたけど、どのくらい必要なのか、あと現時点でもターゲットと価格のイメージは立てられるよね、というのが課題となりそうです。

あとは、昨年の展示後から居間theaterとの出会いあたりで「表現活動とは何ぞ?」みたいなことを考えて、当地理人ノートでも随分と(反応はあんまりないのに)記事をたくさん書きました。そう、そのへんがまだまだ全然分からない、つかめない、のです。途中で書いた「空想地図には本腰が入らない」問題です。

いわゆるそういう作家にとっての「次の山」って何なんでしょう。例えば「展示しました」ということは、私の中では「展示したに過ぎない」みたいな認識ですが、それは表現者にとって次の山は何かが全く見えていないためです。例えば本を出すと、記事を書いたり人前で話す案件は得やすくなります。私の例ではないですが「売上をグイッと上げるとコンサルになれる」みたいな例もあります。これが表現に関することだと全然分からない。私がその世界(アート界隈)に生きてなかったためです。

越えてない次の山って、海外で呼ばれて展示、とか、何かのアートプロジェクトに(ボランタリーでない形で)参画、とか、何かの講師…とか、「作ったものが売れる」みたいな展開でしょうか?…しかしそのために今の調子で地図作り続けるだけじゃ、全然近づきはしない感じがするというか、私が現時点での空想地図をそこまでのものと信じていない、もっと言うと何をするとそこまでの価値が担保されるか分からない、のです。しかし(空想地図に興味を持つ人は結構いるのに)ここに対して意見をくれる人は誰もいない…。自分で何か(不確実でも)信じてやるしかない(が私には究極的にそれができない)・・・やはりここも、大いなる孤立を迎えています。

とりあえず、色々マイナスにならないように、鈍足ではあるけどもタスクリストをすこ〜〜しずつ消化していこうと思います。そのためになるべく外出せず家籠もりします。でも、この記事の内容のどこかがひっかかったら身を乗り出してお話なりゴハンなりしたいです。

以上、気軽に相談できないのが発端で(軽くは人に話してるんですが、ここまで重く話したい)、自分で自分に相談して夜な夜なまとめたら朝になりましたの記事でした。
まさか全文読んでしまった方、お疲れ様でした。お仕事・ご意見こちらまで。それではみなさま良い夏を。

SNSでシェアする。