あっという間に5年が過ぎたので、地理人の仕事の推移を全て図化して全体的な流れをつかんで今後を考えよう。

あっという間に35になる

よく、30歳から40歳への時間の流れは速い、と先人から聞きました。半ばに入り、それは実感しています。2016年頃にやっていたことが、結構最近に感じられるのですが、実際には4年経っています。

加齢以上にモヤってもいました。2015〜17年頃までの仕事(2枚目の図の”3″)の延長線、発展型がその後にある……かと思いきや、そうでもなかったのです。2018年は沈黙の年となり(メディアや展示はありましたがこの年あまり仕事をしていない)、2019年から再起したと思ったら、著述と展示、物販という、なんか「作家」風の展開は、全く思い描いていないものでした(著述は意図してしましたが)。

私の仕事は市場がなく、かつ継続的な案件になることもほとんどないため、よく自営でやってるな…と思います。本業や収入源を聞かれ、隠さず答えるものの、聞く人はハテナな顔をするのも分かります。私も一言で説明できません。

最近やってなかったのですが、久々に仕事の全体像や推移をまとめてみました。このまま気づけば40になってしまっていいのか、という危機感は、人を作図に向かわせるものです。

小さな仕事も大きな仕事もありがたいな…と思いつつ、書ける限りを限り、実績だと思えて今後の展開の種になりそうなものを大きな字と●にし、全体的な流れを読めるようにしていきます。

では、これに全体的な流れを加筆してみます。

デザインで食いつなぎ、空想地図の認知が広がり、地理情報の仕事を得るまで

25歳で会社を辞めた後、とりあえず食うためにはできるスキルの切り売りで食いつなぎます(DTPデザイン)。ここには書いてませんが2014年頃までの勤め労働と、左下の”「1」のゾーン。ただ、私程度のスキルだと高付加価値の案件は得られないので次の本業を確立する必要がありました。

1の右にある「3」地図デザインや地理情報の編集とデザインがやんわりできれば、とは思っていましたが、やんわりで全く具体的な像は見えず。そう思っていたら意外にも「2」の波が。空想地図は思っていた以上の注目度ど反響を得て、出版、出演、イベント…の波が2013〜14年頃に来ます。

そこからDTPデザイン(2次)の波が来て、いよいよ「3」の地理情報の編集とデザイン…いわば地図や統計から、現実の都市をどうわかりやすく掴む形、伝われる形にするか、の業です。市場がないのにいくつか仕事を得られたのは本当にありがたいことでした。

しかしテレビやイベント、展示と異なり、その結果を多くの人が見ていない(見られない)というのは、その後の展開可能性を縮めるボトルネックになっただろうと思います。この波は2018年初頭で止まるのです。

まさか地理情報の波が止まるとか。そこからは意外な「作家」生活の波へ

それから冒頭でも書いた沈黙の年が始まるのですが、どんな仕事でもして食いつなぐとしたら、短期的に乗り切れても長期的には乗り切れません。そうだここは長期的な投資にしなければ、ということで、「5」の波…リアル地図や都市を読み解くアプローチを書籍にまとめるべく、仕込みの年にします。そう、この「5」だけは割と自発的に狙って仕掛けた波でもあります(方向オンチ本は狙ってなかったけど)。

それでも不意だったのは「4」の波。不思議と公立美術館から展示のお誘いが続き、不思議とマニアフェスタから物販のお誘いが続きます。これがその先どうなるかはわかりませんが、続く限りは続けたいのと、他のクリエイターの参画が叶う形なら展示も積極的にしていきたい所存です。

全くコロナに触れてませんでしたが、雑感で仕事は2割減くらいです。その割には暇になり、こうした振り返りや、2年ぶりの空想地図の大改訂に取り掛かり、これも仕込みの良い時期になっています。家にずっといると生産性が上がらぬのが悩ましいところですが。

今後やることを考えつつ、太く長くできることを絞っていく必要がありそう

そして今後です。展示と著述はするつもりです。その他、空想都市を舞台にした新しいプロジェクトが2つ始まるやも知れません。こうした空想都市舞台の利活用は次の波となるでしょうか。案外小案件(1回限りのゲスト講師みたいなね)の蓄積で成り立っているのですが、それに頼らぬ柱は考えたいところです。

風呂敷を広げ、より実績となる仕事に挑むとなっても頭は1つ、手は2つ。限られた人手(私だけ)と時間で今後に挑むには、これまでのようにたんぽぽの綿毛を飛ばして何か咲くのを待つだけでなく、(それも引き続きするけど)積極的に1、2つくらいの大きな柱を長年かけて育てる、くらいのことをしたほうが良い気もします。それが何なのか、この図を見つめて考えてみたいと思います。

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