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2018年を振り返りつつ2019年へ (2) 地理人の成長限界

この年末、今年の自分を考えると「停滞の1年」「成長限界」というフレーズが頭の中で踊っています。停滞の1年は昨日の記事で書いた通りですが、今日は成長限界について触れてみたいと思います。SNSでは反応が少ないので、完全な自分のための振り返りだったのですが、見てくれる人は見てくれるんですね。会ったときに感想を言ってくれる人もいました。ネットが普及するこの時代ですが、やはりリアルなコミュニケーションの機会も大事だなぁと思った大晦日でした。

私はかねてより、超・受動的なのですが、これは大きな弱みと自覚しています。治せるものなら治したい。しかしこれはもう、付き合っていくべき持病のようなものです。しかし、あまり外からはそうは見られません。なにしろ、誰からも頼まれないのに勝手に実在しない都市の地図を作る…これって能動性じゃん、というお話です。

なるほど…たしかに。あるとき気づいたことですが、私は「思いつく」→「試作する」の部分だけは能動的、積極的なのです。そして、この僅かな積極性を活かし、どうにか2015年以降は試作品が完成するところまで、そしてそれは何なのか、どう活かせるのか…を伝える資料を作るところまで進めました。しかし、そこから先は☓印で、例えば技術的なインプット(Webとか3Dとか色々)も難しければ、積極的な事業化も、もっと単純な誰でもできることで言うと人を巻き込むことも難しいまま今に至っています。

ここまで☓が多いと食っていけない感じですが、ありがたいことに仕事が舞い込んできたことで、これまでの進展を得ています。灰色の☓印の矢印の部分は、自分からの能動的な矢印がなかった代わりに、逆方向の矢印を集めることができたのです。それはひとえに、人見知りのなさによる界隈の開拓と、初対面の人に色々しゃべっちゃう性分が開拓した側面もあるでしょう。

私の今の仕事は一言で説明が難しく、
「地理・地図関係の自営業です」→「?」
「地理・地図に関するライティング、デザイン、講演、アドバイザー等少しずついろんなことをしています」→「ほぉ」
と説明しては、よく分からない…という反応をいただきます。

こうして見てみると、受動的な割にはずいぶん広がったなぁ…とも思います。受動性で進めた範囲のことはやりきったようにも思えます。その先にある活かし方は、受動性だけでは進めない。そうすると、私の最低限の能動性を最大限に活かす方法を検討せねば、と思います。

(分かりにくいですよね、この、やる気があるんだかないんだか分からない文面…。思いつくことや作ること以外、湧き出る生物的なやる気はないんです。金銭や名誉に関する欲とか、達成意欲とか。そのへんはものすごく怠惰なんです。でもそれでは食っていけないし平均寿命まで長い。楽したい。そのためには生計を立てねば。であればなけなしのやる気資源を最大限活かしてパワーに替えなければ…人口が多いのに資源が取れない国が考えることと似たような構図です。そういうてこの原理でどうにか生きてきた側面があります。)

あれ、この手の話、1年前から出てましたね…。

そうです、昨年は「10までは進んだが、次の100が見えない」という言い方をしていました。同じことです。

このように日付がついていると、ああ、この1年半何も進展がないのね…ということに気づいて大変ピリピリします。基本的に怠惰なのでこのくらいピリピリしたほうが普通に生きてる感じがします。このときは「次の100」としてこんな絵を描いていました。

おお。もっともらしいんですが、具体的に何をすんねん、という話と、さすがにこの絵を示したところで誰かからピッタリの話が舞い込んできたりはしない、という話です。分かりにくいですしね。今は、1と3をくっつけて、2を2つに分けようかと思っていますが、もっと具体的なあれこれを考えたほうが良いと思うのでこれから検討します。そしてそれ以上に、誰か、一緒に進める人を募りたい、巻き込めるようになりたい、というのが今思うところです。

さて、これまでどのように人間関係を開拓してきたか…その軌跡と可能性、限界について触れてみたいと思います。

まず私には、母体となるコミュニティがありません。空想地図や地理情報のデザインについては、自力の試行錯誤によるもので、どこかの学校や企業、コミュニティで身につけたものではないのです。このことは、しばらくの間気にしていませんでしたが、切磋琢磨もなければ成長や展開の展望も見えず、ただただ孤独に歩むしかない、ということでもありました。良く言っても孤軍奮闘、ですが別に奮闘せず停滞しても死んでも誰も困らないのでそういう自由もあるという、孤独な自由状態です。大学院の同じ研究室の仲間…とか、今の自分を作った会社…とか、そこに共通の価値基準や仲間意識…いわば基礎がある人は、いいなぁ…と思いながら眺めておりました。私も大学や会社に居たことはあるんですが、それを基に発展した訳でもないので「同窓会コミュニティ」くらいでしかないのです。

しかし今や、知り合いは増えました。あらゆる界隈にあらゆる知り合いがいます。そういう意味では全然孤独ではありません。私の周りの友人知人は私にとって栄養で、周囲の人々のお陰で前向きに生きられている実感を得ております。当初、周囲は遠い世界だと思っていたんですが、全然遠くはなかったのです。

ただ知り合いが増えるだけでなく、あらゆる界隈からお呼びが掛かればヒョイと向かって飛び込んで参ります。イベントや単発のプロジェクトに呼ばれれば参画します。空想地図はあらゆる界隈から声をかけていただけるパスポートとなりました。しかし、こちらから内容とタイミングは選べないのです。これが、1年前で言う「次の100」、今で言う空想地図の「その先の活かし方」に行けない限界でもあります。

個人的に感じている壁がここです。一歩奥に踏み込めない…ということ。この図を見ると、全ての界隈の「一歩奥」に踏み込みたそうに見えますが、一人で同時にそんなことはできません。そして、自分で狙いを定めて進んでいく…そのためには、自分でより組みたい人々…というか人、やりたいことをより明確にせねばな…と思ったところでした。

年末の振り返りはここまでです。年始は、「じゃ、何をするか?」を考えてまいります。

2018年を振り返りつつ2019年へ (1) 停滞の1年

年度の境目(3/314/1)や誕生日(5/1…来年はまさかのビッグイベントと重なる)の前後、そして今来ている年末年始(12/311/1前後)は、自身の振り返りと展望を考える絶好の機会です。というか、それ以上の意義を見いだせておりません。さて、2018年を簡単に振り返ると、ズバリ「停滞の1年」でした。

興味深いのは、おそらく誰もそう思っていないことです。いや、そう思ってくれている人がいるなら、実はかなり嬉しい。来年の目標はそういう目線の合う人をみつけることでもある。講演やワークショップといったイベントや、テレビやラジオ、記事での露出は少なからずあり、それを見ると活躍を感じてしまう人も多いのです。最近だとほぼ日の記事は反応が大きかったですが、まぁ載ったに過ぎません。

空想地図なんてキワモノ、認知が広がったところで仕事が増える訳でもありません。市場のないものは、自分で市場を作ったり、どこかの市場に輸出する仕掛けを作らないといけないのですが(あるいは完全な趣味と割り切ってどこかに勤める)、その方法はまだ手探りの域を出ていません。まぁ色々言ってはみましたが、今年の停滞感は、例年に比べて非常に仕事が少ないことで実感しているものでもあります。

街ペディア  

2016年は地域情報サイト「街ペディア」の仕事をいただき、実際の地理情報(都市の情報)の新しいつかみ方の形ができました。2017年は都城市立美術館で現代美術として展示する機会をいただき、地図や地理情報に限らず、空想の日常の新たな表現形態として「空想落とし物」が生まれました。

地域情報サイトから、実際の地理情報のデザイン、伝達の仕事は広がるかと思いきやかなり静かになってしまいました。今年度初め、じつは超・暇だったのです。そこで重い腰を上げて次の本を書くことにしました。

次の本は空想地図ではなく、新たな都市や地域の「つかみ方」、地図の新しい読み方の本です。地図で見える道路の模様で、風景や人々、時代が見える地形と歴史の本が多い中で、地形と歴史とは異なる、現代の日常を道路模様で読むアプローチだ。ああ、もっとうまく言えんもんか…魅力的に伝えられないものかと思いつつ、私の伝達力の限界が今の所このくらいです…精進します;単著を出したい人が多い中こんなことを言うのははばかられますが、私はいつか共著を出したいのです。単著は息切れして苦戦を強いられます。よほどの自信がないと厳しいのです。それでも書かない限りお前の未来はないという停滞感を日々感じていたからこそ、どうにか書き進めることができました。

晶文社から『「地図感覚」から都市を読み解く――新しい地図の読み方』、201912月に発売予定です。

今年のもうひとつの思いがけぬ展開は、物販でした。別視点のマニアフェスタ(東京仕事百貨・東急ハンズ)で販売の機会を得まして、空想地図や空想落とし物がそれぞれ100個以上売れる、といった展開もありました。今年度は超低収入だったこともあって、東急ハンズの物販の収入は実はかなり助かった面もあるのですが、それ以上に、次のものを作るリズムができてくる、ということが大きいのです。毎回同じものを売ってもしょうがないから新しいものを作ろう、という動機が発生すると、新しいものが生まれるのです。グッズの売上が原価を回収し、得られた利益で次のグッズを作るといったミニ工場が回りつつあります。非常に小規模ではあるがおもしろい経験で、ゆるく続けるのか拡大するのか、別の形に花咲く何かの芽でもあるかも知れません。

さて、続いて地理人の空想地図の成長限界にクローズアップしてみたいと思います。(つづく)

さいきん新しく食べたものの写真たち

こんにちは。お久しぶりです。

すっかりブログというものを忘れていました。

それではなんとなく節目ということで(何)、最近新たに食べたものの写真をあげてみようと思います。
※いつもインドカレーばっかり食べているのですが(週3〜4)、それはいつも同じものなので敢えて写真等を撮っておらず、写真があるのは新たに食したものばかりでした。

 

FIREHOUSE

言わずとしれた、近所の有名高級ハンバーガー店。
まさに、そんな感じでした(雑)。

肉!うまい。これぞ本当のハンバーガー(巷のハンバーガーはニセモノじゃぞ)ってな具合でしょうか。
しかし量的に、成長期の男子には足りないかも?

さ、この時点でこの食レポの質は非常に雑だということがわかりましたね。
ご注意下さい。

 

おむすび権米衛

もう終わっちゃいましたが、期間限定鯛めしです。「長崎県産天然真鯛を炊き込んだ菜の花彩る、春むすび。」とのことでした(公式Webによる)。ただ、その期間が過ぎてしまい、Webもなくなっちゃったのであれまぁな感じです。今さら言うのもアレですが、そう、鯛だけじゃなくて菜の花も炊き込んであってですね、超とてもVERYおいしいおむすびでした。オススメです(しかしもう食べられない)。 190円。

 

IZASA

こちらも春の期間限定、真鯛の白湯そばです。
結構これも鯛の味が出てていいんですが、ちょこんと乗るゆず胡椒が美味です。

がしかし、薄味好きで味も性格も超サッパリした私からすると、ちょいと濃厚どろりは体にツライ、と思う年頃になりました。

 

虫つけ麺@凪 by 地球少年

友人の地球少年こと篠原祐太くんが主催していた虫つけ麺の日でした。
つまり、いつも食べらるわけじゃない〜メニューなんですが〜
コオロギ、案外うまい。いや昆虫食という括りを抜いても、エビのような香ばしいお味でした。

なかなか機会は少ないですが、また機会あれば食べてみたいものです。

 

フクモリ

チキンカツの定食なんですが、それ以上に、山形料理店なので、山形の付け合わせが美味です。それ以上に気になったのは、チキンカツ上の大葉ソースです。大葉ソースって何やねん、それってバジルみたいな味に?と気になって頼んでみたら・・・

まさにバジルのような、しかし大葉。オススメです。

 

ダージリン

私が週3〜4で通う、いつものインドカレー屋、ダージリンです。
最近はどこでもここでもインドカレー屋だらけになってますが、そうすると「よくあるインドカレーの味」のテンプレも出来上がってきます。よくある味に遭遇することもしばしば。しかしここのカレー、甘っちょろくない、というか、味が日によって結構変わる。料理人の塩梅によってかなり変わる、この均質性の全くないカレーは、それこそが人間の所業、人間らしさを実感できる瞬間でもあり、変わりゆく日々を実感し、期待していた日替わりカレーがただ辛いだけの日は「今日は甘く見るなよ」という暗示も感じられ、そのように「今日の占い」風にも味わえる、色んな意味で日替わりのカレーは、大変味わい深いものです。

で、前置きが長くなりましたが、そんなダージリンで「インドの給食」が始まりました。正式にはJANTA THARIというメニューですが(昼930円+税、夜1030円+税)、豆のスープとか色々あって、これはなかなか美味でした。というか量が多くて満腹オーバー気味でした。気をつけましょう。

 

そんなところですかね!

日常の重なりがおもしろい。最近見た映画やドラマ(特に逃げ恥)の感想。

スミマセン、当blog地理人ノート、更新せず随分放置してました。

2016年の振り返り、の前に、昨年から超少しずつ進めた「話題になっている映画やドラマは見よう!」キャンペーン。

海街Diaryに始まり・・・

いいですね、海辺の余白ある生活。(写真は江ノ電のとある駅)

・・・ 有名どころは、シン・ゴジラ。

日米関係と戦後の現実をダイナミックに届ける社会派映画としてインパクト大でした。破壊から生まれるというのも妙に説得力がありました。(写真は六本木ヒルズから撮った東京都心)

続いて、君の名は。

アニメーションは美しいと思います。架空の地図も出てきたのでああいう仕事今後受けたいな〜と思いつつ、ロマンチシズムモリモリの文学極まったモノが私は苦手で、現実味を欠いた一種の理想極まったストーリーや描写に「世界はそんなに美しくないよ」と思いながら見ていました。ちょっと疲れた。(写真は東京と岐阜の間にあるどこかの湖畔)

そして、急沸騰した「この世界の片隅に」。

事前の噂通り、遠方からの風景の映し方がとても印象的。時代は戦中戦後ではあるが、何気ない日常がずっと映されている。街の様子は、引きの全体感と目の前の情景が両方映されて、手に取るように日常がつかめる。それが今の日常とは随分違う。地名…特に呉線の駅名は連呼される…が出てくるだけでも、今の風景を思い出しながら比較するとなんとも言えない時の経過と、地理的な連続性が重なってグッと来る。あまり一個人に感情移入できない私としては、何気ないひとつひとつの日常で構成された、日常社会の全体像や時の経過のダイナミズムを、なんとも一言では言い表せないし、だから何と言うこともない、そんなリアリティを感じて、「そうか、これが世の中か…」とジーンと来たりはしました。(写真は10年前の呉線沿線から呉市付近)

そして数々の人が話題にしていた「逃げるは恥だが役に立つ」。

 

私は私なりに2つの点で釘付けだったので、私に逃げ恥を薦めたうちの新住人男性とは話が合ったのですが、それ以外の人と話したときに何かが噛み合わず、ちょっとした見方の違い〜に気づいたのでそこから。

・俳優名で言われてもわからん

芸能に弱い私ですが、さらにワタクシ、2〜3回会った人でも人の顔を覚えることができません。これは結構深刻。 皆さん劇中に出てきた人を俳優名で認識してるのね〜。ある人が「藤井隆が…」とか「石田ゆり子が…」とか言ってて、あとで調べて分かったヨ。。

あと「誰のドコがカワイイ(orカッコイイ)」ってよく聞くけど、やっぱりそういう見方になるのね〜。 あと「壁ドンが…」と言ってる人もいて、あ、そうかそういうの気にするのか…と思ったりしました。

・表裏のある街「横浜」のオモテ面で繰り広げられる恋愛ドラマとして

昨年の「デート 〜恋とはどんなものかしら〜」も、恋愛に不慣れな男女が契約書を交わして恋愛するドラマでしたが、これも舞台は横浜市でした。ロケ地として力を入れる横浜市、絵にはなります。両ドラマとも横浜市営バスが大活躍(人の顔は覚えられないがバスの柄は覚えられる)。

ところで今回は職場がみなとみらい、主人公の津崎さんが住むのが都筑区。結構遠くないか…と思いましたが、バスで行ける近い設定になってました。パッチワークで横浜のいいとこ取りをした「横浜像」ってこんな感じか〜とも思わされました。横浜は、キレイに装ったオモテ面と、威勢のいい港町というか不揃いで汚いウラ面があり、それぞれにコントラストが強く濃い都市ですが、オモテ面は全体のごく僅か。離れた位置にあるオモテ面を寄せ集めると、なるほど逃げ恥の出来上がり。

・90年代以降の「幸せ」の多様化を反映して

都市のキレイな面だけだし、インテリアがキレイすぎるし(そんなみんなキレイな家に住んでねぇよ!と思ったり)、そこだけは「君の名は」以上にキレイ過ぎるのだが、それ以外はなかなか現実味のある話。人物描写はなかなかです。

85年の男女雇用機会均等法施行以降、女性は「恋愛&結婚より仕事を選ぶ」キャリアウーマンという生き方も登場し、90年代は一つの希望ではあったものの、その世代も50前後(アラフィフ)になっているのが現在です。キャリアウーマンとは何だったのか、一巡して振り返ることができる時代になりました。最近は恋愛&結婚の成就しない姿を見て反面教師にする若年層も多いようですが、私が見る限りはバリバリ仕事もしつつ結婚もする人もいるし、一概に「仕事バリバリのキャリアウーマンは恋愛&結婚を捨てている」と一括りにするのは腑に落ちずです。(なにしろ全体的に未婚率は上昇している訳で) ただ、典型的な90年代型「キャリアウーマン」のリアルを追いつつ、こうした人々の格好良さやリアル、こうした人々なりの幸せを追ったというのは、案外光の当たりにくいところに当てたな、という印象でした。

詳細は省きますが、他にも、シングルマザーからゲイまで、多様な繋がり方を追っていたのも好印象でした。

・「状況に合わせて互いに状況に向き合い、対処する」終わりの後味の良さ

肝はココです。最終的に、良い転職先が見つかるとか結婚を果たすとか子供が生まれるとか、わかりやすいハッピーエンドは訪れません。入籍するかどうか、仕事をどうするか・・・そのへんも未定です。未定ながら「状況に応じて、お互い状況に向き合って動いていくしかない」いわば共同経営責任者として意思決定をして動いていく、その腰を据えたところ、いわばスタートラインで終わるのは、グッと来るというか、非常に納得感があるというか、それこそが後味のいいストーリーの終わり!!!でした。

・自尊感情(自己肯定感)

津崎さんは異性関係に関する自尊感情がMAXに低く、森山さんは表面的にはそんなことはないものの実はどこか満たされていないカモフラージュ層です。津崎さんの構造、共感する人は共感したし、できなかった人はできなかったんじゃないでしょうか。「異性に対する全ての(恋愛・性的)アクションが、全て相手へのマイナスになる」という信念のような「当然さ」です。恋愛や性に対して積極的になる層とならない層の差が拡がり、それぞれ違う世界に生きているのではと思うほど分断されていますが、劇中ではMAXに低い人のちょっとした仕草を如実に映していいます。恋愛的アクションも「なかったことにする」し「何もないまま済ませたい」のは、そのほうがプラス(マイナスにならない)という信念からです。私も暫くそうだった時期が長いのと、私の場合は意図的にそうしてきたので、これはよく分かります。

一方の森山さんは、一通りこなしているので、一見それなりに社会生活を送れているようですが、いくつかのつまづきや、それまで得たものもそこまで自分を満たしていなかったことで、カモフラージュされている層です。本人のちょっとした理屈っぽさや想像性は個体差なのでそこは人それぞれですが(私は好きですが)、満たされ具合で見れば、これはかなり多いと思います(し、私も人と会っていて、こういう人がかなり多いという実感を得ています)。人の心の扉を開きながら、自分の心の扉を開いていく。私も近年そんなことがあったので、ヒトゴトではないな…と思って拝見しておりました。

一つ一つは色々な何気ない日常でも、それが重なっていく・・・そこにストーリーの深みがあり、ジワッと来る何かがあります。逃げるは恥だが〜は直近で見たのが感想長めになりましたが、あとでジワッと来る作品はそういう「重なり」がおもしろかったな〜と思うまででした。今後もいろいろウォッチしていきたいですね。では!

(拾い物の画像使うのもアレだったので写真を自力でアレしたがなかなか苦しかった…)

海側から、阪神間を眺める高速バスドライブ。

先日(10/4)、高松から大阪まで、高速バスで移動しました。すると淡路島経由となります。

明石海峡大橋を渡って、阪神高速で海側から阪神間を眺めて大阪入りする、というなかなかの絶景コースです。
私は密かに、自動車運転免許を持たずにどれだけ色々な高速道路を通れるか、をかすかなミッションにしている節もあるのですが、高速バスからだと何が良いって・・・

・視点が高め(自動車に比べると)
・自分で運転しないので風景に集中できる(撮影も可能)

ということです。

というわけで本文はここで終わり(雑)。

あとは風景の変化をスクロールしてお楽しみ下さい。ちなみに1つ1つ写真を拡大するとかなり容量食うと思うので、ご注意下さい〜。
ちなみにだんだん日が落ちて夜に近づいてきます。

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京都の多様な面が、感覚的につかみやすい…そんな地図を作った、アノ人。

さて、本日は本の紹介です。
岸本千佳著「もし京都が東京だったらマップ」(イースト新書)

昨年、Twitterを発端に話題沸騰、出版に至っています。要注目です。
この「もし京都が〜マップ」は、京都のあらゆる地域を「東京の具体的な街で喩えた」地図で、世界に衝撃を与えました。

地図を作って岸本さんがTwitterに投稿した直後、こりゃおもしろい、と思って私もすかさずRTしましたが、同時に「やられた!」とも思いました。こういった地理的な感覚の置き換えは、私がやりたいことでもあり「その手があったか!」と良い刺激になりました。

そうそう、10年前、ソウル近郊の水原市で「このへんは大宮と川越を足して2で割った感じだな…」と感じたり(首都から30km離れた100万都市で、内陸にある道・県庁所在地でもあり、歴史的な町並みもある)、3年前、サンフランシスコ郊外で「このへんが八王子か〜」とか言いながら移動したのを思い出します。

そうは思っていても、それをそのまま記録せず、何か統一的な指標を作ろう…と思って、5年前に作ったはいいものの放置しています(圏域・都心基準。突如機会を得てあと半年くらいでリリースできそうです)。…が、岸本さんの地図を見て「そうか、そのまま喩えるのもアリなのか」と気付かされました。

私が話題にする前に、色々な人やメディアが話題にしているので、本人の発信記事も含め、詳しくはそちらをご覧ください。

「もし京都が東京だったらマップ」を見てみよう

もし京都が東京だったらマップ(旧ブログ)
…発端となったマップです。

「もし京都が東京だったらマップ」の魅力(cakes)
…マップを作った経緯、どんな狙いがあって、どんな人に見てもらいたいか、そして書籍の中でも紹介されているような、街の見方の具体例も書かれています。

続いて取材記事。

withnews / 「もし京都が東京だったらマップ」が話題 制作者の「街を見る力」

SUUMOジャーナル / 『もし京都が東京だったらマップ』の作者に聞く “いま”の京都

exciteニュース / もし京都が東京だったらマップ』にみる”街の見方、感じ方”

見る人の感覚と経験から「街を見る」視点を作る

街と街の比較だけ見ると「そうそう!」「いやそうじゃない」と賛否両論出るかもしれません。
いやいや、この地図は「アノ街は、コノ街と一緒だ」と言っている訳ではないのです。

「この街とこの街を比べてみると、見えてくることがあるよ」という一つの視点の提案なのです。
で、それは地図を見るだけでは分からないので、本を見てみましょう。

街の成り立った経緯から、その街の今の様子、地元での位置付けについて、それぞれの街を紹介しつつ、類似点と相違点と紹介しています。そう、比べてこそ、似ている所と違うところが見えてきて、東京という街の材料で京都の色々な街を知る手がかりがつかめるのです。

京都の街は多様である

岸本さん曰く「京都は全体的に神楽坂のような街だと思われているが、それは一面に過ぎず、あらゆる面の、あらゆる街がある」ということなのです。これについては私も同感でした。

・・・関東の人間は、JR東海の「そうだ、京都へ行こう」のCMの印象に毒されている!あれは、京都の建前の一面にすぎない・・・金になりそうな古都の価値が最大化する一面を切り取っただけで、それが東京人の憧れの「京都」像として出来上がってるってなんなんだコノヤロー・・・

…とか思ってました。アレ?…同感というより、私の発想がガラ悪い・・・;汗

もともと私が京都嫌いだったこともあり、「そうじゃない京都」ばかりを探り、六地蔵、洛西ニュータウン、向島ニュータウン、醍醐…など、今回の「もし京都が東京だったらマップ」のさらに外側の京都市内を回ってました。ただ、内側の京都にはおもしろい人や文化が集まり、知り合いも増えてきたので、少しずつ回り始めていたところでした。もともと「東京23区嫌い」だったのに、今やえらい真ん中に住んでいたり…私はそんな矛盾を抱えながら生きています。そんな私の個人的な話は置いといて。

観光目線以外の京都の「日常」目線がある

京都に限らず「その街の日常の情報を知りたい」と常々思っていました。例えば京都の情報については、観光名所としての見どころや、歴史的なウンチク、高いお店の情報が多くを占めます。私が知りたいのは「地元の人はその街をどう思い、どんなときに行き、どんな印象か」あるいは「どんな人が住み、どう動いているか」といった、「ふつうの話」です。地元では普通でも、外からそれをうかがい知ることは…案外難しいのです。

本文中に、北大路にはビブレとバスターミナルがあり、京都北エリアの中心地としてアテにされている(要約)という記述に「そうだと思ったけど、やっぱりそうなんだな…」と思ったり(実際あのビブレは結構アテになります)。四条〜五条河原町も、市街地に近い割には人が少なく、かつ古くからの地場の雰囲気でも観光客寄せでもない、新たなモノ作りの試行錯誤がセンスよく試されており、それは確かに蔵前に親しいのですが、これも観光ガイドに載らないポイントです。

京都駅は京都人は日常的に行く機会がなく、新幹線の駅があるターミナル駅(として東京で言うと品川)…これも言いえて妙です。実際のところ京都駅は品川よりは買物スポットになっているというか、滋賀県民にとっての「近くにある一番大きい街」であったりもするのですが、ここで一番伝えたいのは「駅だけ見るとでかいけど、地元の人が一番集まるような、新宿駅や大阪(梅田)駅ではないよ」ということです。熊本における熊本駅とか、松山における松山駅とか…と通じるものがあります。福岡における博多駅、も遠からずです。

そしてもちろん、私の知らぬ情報、地元感…も多々ありました。もともと私は京都に詳しくないので、「へぇ」な新発見が結構ありました。「あれ、出町柳に商店街あったんだ…」とか。乗換だけで使うと、案外見落としているものです。

博愛主義的「街の見方」

東京も京都も「コアな街」を多く持ちますが、コアな街は特定の志向に寄った人に紹介されがちです。
たとえば中央線沿線や下北沢が好きな人は、その魅力には狭く深く没入するものの、その要素がない街にはほとんど関心を示しません。逆にそれを煙たく思い、東京の東側の飲みスポットに精通する人は、やはり西側の街に興味を示さなかったりもします。

京都についても、歴史を愛でる人は、歴史のない所に関心を持たず、観光地を単に追いかける人は、人気のない所に興味を持たず…
大抵、そういうものです。

「もし京都〜」では、特定の趣向に寄らず、あらゆる志向の人、あらゆる生き方をする人を、分け隔てなく見つめ、多様な人それぞれの本位を追って見つめようとしているのが特徴的です。(そして私はそこに共感しています。それがものすごく「地図的」でもあるのです。地図は特定の街だけ詳しく描くことをせず、描くと決めた範囲は、均等な精度で映し出し、ひたすら俯瞰を貫くのです。)

左京区の自由人も、御所近くのブランドを纏う人々も、オシャレ感の全くない地域の人々も・・・いますが、どの地域にも肩入れしすぎず、どの地域も無視せず、その地域に息づく人本位の視点を追おうとする姿勢と、それによって得られる土地勘(その観察眼と姿勢があれば土地勘はつかめるのだよ、ということ)が、実はこの本のミソだ、と思っています。

ではちょっとやってみよう、「東京⇔大阪の置換え地図」

ちょっと私もやってみよう、と雑なことを考え、実際やってみると・・・結構むずいものです。

こうして作ってみると、東京の中で似ている街の微妙な差異や、大阪の中で似ている街の微妙な差異を見つめて選り分ける感性が求められますが、これが案外難しい。そして、自分の得意分野と不得意分野に気づいたりもします。例えば私はノンアルコーラーということもあって、飲み屋街には詳しくないのです。大阪はその要素が強いので、そのへんの観察眼が求められます。

でも、大阪の南のほうは東京の東のほうで(旧来からの住民が多い)、大阪の北のほうは東京の西のほう(外来の新住民が多い)、という相関は出ましたね。全体的には東京の東の街が多くなりそうですが。(そりゃ東京の西側的な街が多数出没する都市なんて珍しいでしょう)

というわけで、余談の自主トレでした。これは色々やってみたい…。東京だけでなく大阪とどこかの地方都市とか。福岡なんてとても東京と対照させやすいし、札幌は東京とも大阪とも対照させやすい。色々浮かびつつ案外むずかしいので一旦手は止めます。

今後の動きに注目していきたい

同い年の友人でもあるのですが、ありがたいことに京都に来たときに「会いたい」と言うと「はい喜んで」と会ってくれるので、ありがたやです。
私は岸本さんの視点だけでなく、動き方にも注目しています。

ここからは個人的なメモ代わりでもありますが、ポイントは地図を作っただけでなく「その後」です。
例えば、三浦展さんという(私は近づけない)大物を師としていますが、「師をみつけ、追ってみる」こと、トークイベントもされていますが、「誰と対談するとおもしろいかを考え、打診する」こと・・・その後の「展開」を考えているのが、私にはないというか、私にはできないところ…なのです。これって、自分の価値がざっとでも分かってないとできないことなので、それが分かっていると、展開も自分から打てるんだな…ふむふむ、とさせられています。

ええ、私の場合、イベント時々ありますが、出版記念のイベントはありませんでした。あとは…毎回イベントの告知も、1回だけで、そんなに強めではないですよね。イベントはほとんど、依頼をいただいたもので、ほとんど「自分から仕掛けてきた」ことはありません。私が比較的受動的に動いているのは、自分から動くようなエネルギーや気合いがないから…と思ってましたが(まぁそうなんですが)、「動いたら何がどうなるのか」のイメージが全く掴めていないから、でもありました。

世にない仕事を始めたは良いものの最初は仕事がなく、ひょんなことから本を出すようになり、周囲からの反響に育てられながら、新たな仕事を探り探り作っていく…そんな人の動き方のサンプルは案外少ないので、岸本さんは私にとっても貴重な、生きる姿なのです。そんな訳で今後も注目していきたいと思います◎