こんばんは、地理人です。
2月27日(土)19時〜、建築界隈のイベントで対談させていただきます。
たいそうなタイトルで、私でダイジョブか、と思いましたが、大丈夫そうです。そう思っている皆さんも、↓この記事の話に興味が湧けば、とてもおもしろいと思います。
「創造・想像」の先をつくる-メンテナンス時代のクリエイションを考える-
(HEAD研究会)
※事前にチケットの購入が必要です。こちらからどうぞ。
http://peatix.com/event/146521/view
山道さん「熟・ポジティブ」の秘訣
ところで、主催で建築家の山道(さんどう)さん、かなり健康的な感じが印象的です。
そもそも建築家って、そんなに不健康な人を見かけませんが、多くの建築家は、大きく、かつ細かく、組み立てることに神経を集中した、ピリッと決まったシャープさが感じられます。
器用な手先で繊細に組み立てることもあれば、トンカチで釘を打つような力仕事まで、と言うと、模型づくりと木工に限ったニュアンスで伝わってしまいますが、施主の意思、意図、環境、法令といった条件を調整して一つの形に整える力と、それを整えるための細部の技巧が必要で、どこかその職人たる雰囲気は、無駄をそぎ落とし、背筋の伸びた、まさに家を支える柱のような人が多いな、と思っておりました。
山道さんは少々それとは異なる雰囲気です。事務所もスタートし始めで、産みの苦しみもありそうな時期ながらも、熟した余裕ある雰囲気を放ち、フラットに非常に近づきやすいのもまた印象的です。その雰囲気もあってか、ビビらずに私もベラベラしゃべってしまったので、話も合い、イベントに呼んでいただく流れになりました。
次の手を打っていくこと、そして私にはない(笑)果てしなくポジティブなエネルギー・・・そのエネルギーを放ちつつ、なぜ余裕があり、ムラやブレなく動いてるのか、ナゾだったので聞いてみました。
すると、夜は良い時間で切り上げるし、休みの日もとる、無理はしない、とのことでした。山道さんの師匠もそのポリシーだったみたいで、健康的な建築術には起源がありそうですが、彼の、多くの人が羨むであろう「熟・ポジティブ」は、それはそれでオンリーワンなのではないかと思います。
ガウディなのかダヴィンチなのか
もう1人のゲスト、岡啓輔さんは、お会いしたことはありませんが、10年以上1つの建物を建て続けておられる方です。と聞いてすかさず「ガウデ○・・・」の文字が浮かびましたが、安直にそう言う人は多いだろうと思って言うのをやめました。でも、三田のガウディ、と呼ばれているみたいです。
しかし、この方は建築・・・なのでしょうか。建物を建てると言えば、建物の全体像を描く建築設計という行為から始まりそうです。
岡さんは、マクロに「作る」行為をしつつ、それとは対照的に、ミクロな面・・・「数百年持つコンクリート」づくりの試行錯誤を繰り返していたり、どうやら建物が建つまでの0から100までの全ての過程を自らの手で整える、という、とてつもなく手間のかかることをしています。その結果として、まだ建物は建たない、ということのようです。
大型化、効率化のため、作業の役割は細分化される・・・この現象は、製造業でも、医療の世界でも、経験してきたことです。多くの専門的な人員の連携プレイにより、一人では成し遂げることのできない大型物件、大量生産、あるいは果てしない種類の症状への対処を果たしているのが、現代社会です。
ただ、その人が担当する分野しか成し遂げられず、専門分野に特化すればするほど、全体像が見えなくなるのは、また問題でもあります。
岡さんが、自身の手と感覚でそれを追っていくのは、そういった細分化へのアンチテーゼでしょうか。学問が細分化されず、あらゆる学問や技術を横断して極めていた時代と言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチをも思い出します。
私の、建築の世界への恐れ
いやはや、毎度毎度言ってしまうのですが、これまで、ホンモノの建物を建てられる建築家、本当に都市をデザインする都市計画家、というものに恐れおののき、近づくのを躊躇していたのです。
私はそれと比較すると、アジアの市場で売られる「偽ブランド品メーカー」のような心境でした。全く既存の何かをコピーしたり、それを高値で(も安値でも)売ったりはしてないのですが、限りなく実現可能性の高い「らしさ」「それっぽさ」を追求していたのでした。
でもホンモノの人々にはスミマセン、と、また建築の人々もピシッとしてるので、そう思ってたのです、が・・・
建築界の閉塞感
山道さんの話は、逆からのアプローチでした。
「建築家は、施主の意向を反映することしかできない。」
奴隷…と言うと言い過ぎですが、自身の意向を反映して作る機会は、意外とないのです。建築は、料理や音楽と異なり、1つモノを完成させるのに、恐ろしいお金と時間がかかり、法令をクリアする必要があります。トライアンドエラー、なんてできない訳です。
別の若手建築家も言ってましたが、時代の流れがポストモダンになれば、完全にそれに翻弄される・・・これは王に仕えたバロック時代の音楽家に通じるものがありそうだ、とも思いました。
私の空想地図は、言い換えれば、(ちょっと言いすぎですが)都市が成立する過程や、それによって起こる事象、変化、それをむら無く観察し、地図に映しながら、あらゆる過程や事象の変化をシミュレーションすることで、現代社会を研究する、みたいなことになります。
言いすぎずに直感的に言うと、「都市って何をどうすると、どうなっちゃうのか、好奇心のままに試している」ということになります。「スイカに塩入れると、甘くなっちゃうんだ!」とか、そういう試行錯誤です。
施主もおらず、原価もかからないゆえ、やり放題です。たしかに、この探求は施主や時代の意向に翻弄されてはいません。
建築家が建築するとなると、「1億円のスイカに1千万円の塩を入れるシミュレーション・・・」みたいな感じでしょうか。たしかに、不可能に近いでしょう。
なるほど、そういう閉塞感を感じていたのか・・・目から鱗でした。
続きは会場で
・・・というわけで、私も建築の世界に触れるのは新しい発見であり、
別のアプローチから、建てるという行為を検証、探求している方は、大いに刺激になりそうです。
建築界隈のイベント、と書きましたが、建築関係でない人も、この内容に興味がある方は、どなたでもお越しください◎