空想地図 描画領域の軌跡

空想地図は、これまでどんな風に書き進められてきたのか、を紐解いていきたいと思います。

1992〜93年(7〜8歳頃)はこんな手描き地図で、「中村市」に焦点を合わせた97年(12歳)以降は手描きながらもこんな地図になりました。このとき実は中村市以外の地図も多々あったんですが、「ただいま準備中」のまま4年以上経っていたことに今気づいた始末です。金海市、千珠市、林島市、なんてのがありました。それもそこそこ結構大きめです。

中村市地図の更新「前期」

それ以降の更新については書いておりませんでしたが、2001〜2003年(16〜18歳)のときに手描きで描いていたものを、2004〜2006年の間にトレースしたのが更新前期です。

↓こちらが2001〜2003年の間に模造紙で描かれたものです。縦横4等分に折ると、ちょうどA4のサイズに近づくので、この大きさに折りたたんで持ち運び、空き時間で描き進めていました。この折り目が、現在に継承される図の大きさになります。

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さて、高校卒業と同時に暇すぎてやることがなかったので、Adobe Illustratorをいじれるようにしました。
「これは、地図ソフトではないか!」と言うことに気づき、手描き地図をトレースしたのが始まりです。

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左が2004〜2006年のページ(ただの罫線に囲まれた目次)、右が2008年のものですが、実質的には2005年にはもう地図を描くのをやめております(2006年には少しだけ更新した)。上の手描き地図と見比べると判りますが、カバーエリアはほぼ変わっていません。親崎、出ノ町が少しカバーされたくらいでしょうか。

空想地図中断期

よく「空想地図を絶えず描き続けてた人」という紹介をされてしまうのですが、そうでもありません。2005年から2010年までは空想地図は忘れられ、私は地方都市に旅立っていました。このときに47都道府県、数百都市を回るのです。これも「空想地図を描くための調査なのか」と聞かれるのですが、そうでもありません。私の人生にとって、そこまで空想地図は主軸でもなく、あくまで趣味というか暇潰しの延長だったので、空想地図のために何かをする、ということはなかったのです。ただ、それまで現実的な現実逃避をするのに、遠出できなかったから空想地図に向かっていたのが、大学生になり、2年生になるとアルバイトを始めて多少の旅行資金ができたので、現実逃避の行先が地方都市に変わっただけです。

とはいえ、2008年頃から(主にNPOカタリバで)空想地図の話をする機会が増え、最初に入った会社も(IT企業なのに)空想地図の引きで入社するに至りました。全然自己PR内容に入れてなかったのですが、趣味を掘り下げられた結果出てきてしまい、それがさらに掘り下げられ、アテにしていなかった空想地図が、内定を獲得するツールになってしまったのです。

という話は置いといて、空想地図を見せる機会が増えてしまうと、気になるのは見るたびに感じる地図の精度の粗さです。なにしろトレース元の地図は高校時代に作られているので、大学の中を知らなかったり、縮尺や距離感も適当だったりしました。重い腰を上げて2010年に再開します。

空想地図の更新「後期」

時は2010年、会社員2年目でした。小中学校時代の私は、暇人の中の暇人だったため、空想地図に割く時間が多かったものの、高校、大学、会社員・・・と、徐々に空き時間が減っていきました。その中で重い腰を上げたのは、当時はかなり不本意な働き方(と仕事内容)だったため、その気分転換…またも、現実逃避です。今度は大学時代と違い、お金はあっても時間はないので、簡単に地方都市に行けないのです。

全面的に作り直したので時間はかかります。2011年に会社を退職したことで少し描画の速度は上がります(しかし空想地図に集中した訳ではありません)。作りなおした地図は、河川や道路、鉄道などの骨格は変わりませんが、その位置やスケールは変わり、細かい道路はほぼ全て線を引き直しています。こうして2012年4月、再び空想地図を公開します。以前は7エリア公開していたのが一気に2エリアに減少します。描画面積は拡がりましたが、その形がいびつだったため、当初は2エリアしか公開できなかったのです。

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退職して自由になったからグイグイ進むというものでもありません。
しかし、進む契機は突然訪れます。2012年7月、当時藝大油絵科2年生だった高橋愛さんが授業の展示でモチーフに使いたい、と言ったのです。高橋さん、大学生時代にカタリバで対応した生徒(当時高校2年生)で、4年後は浪人を経て大学2年生。空想地図の展示については、構想だけ考えて実行されないパターン(いつもそう)だったのが、授業課題とはいえ急に展示の機会を得るのです。

しかし地図は継ぎ接ぎのバラバラ。「できてるところまでで良い」と彼女は言いましたが、いやー中途半端はイカンやろ、という訳で一気に描画領域を拡大。縦2×4エリアに拡がります。自己満足だと半永久的にやらないんですが、多少人が必要としてると進めるんですね。エネルギーが自給できないなら他人から少しのエネルギーをもらい、それを動力にする、という手法だけで人生乗り切っています。(しかし彼女は今何をしているのだろうか。聞いてみようっと。)

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それから1年弱、2013年5月までに勢いもついて13エリアに拡がります。番地・地番も入れたんですが、データが異常に重くなり、動かなくなったので、その後消すに至ってしまいました。

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そして半年経つと(2013年11月)、あと少しで大判印刷しても全部埋まる、いわゆる完成形に近い状態に近づくのですが、ここから手が止まります。手が止まるというか、既に作った部分の修正の方が多くなったため、拡げるほうに手は回らなかったのです。こうすると勢いも止まる訳です。栄森(C-02)、新中村(C-03)の標高を出すのに、その北側の大きな河川、大楽川の低地まで描かないと地形がつかめず、修正はそれを経ないとできない、という厄介な展開になっていたので止めていました。

そしてまた契機は訪れます。2015年4月のももも展です。今度は東京ミッドタウン。えらいこっちゃ。いやはやそうは言ってられない。描き進めなくては。突貫工事で拡げます。カバー範囲とはいえ対岸の西京市は手が回らなそうだけど、それ以外は行けそうだ…ということでどうにか間に合わせます。

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そして、この赤紫色の索引と黄緑色の索引は、さほど違いがないように見えますが、突貫工事で大量発生したミスや抜けを修正し、デザインを少々変えた今回の修正に至ります。

さて、今後は、

・この図の範囲の北の白い部分(西京市山瀬区)を埋める
・中村市の、縮尺の小さい広域図を作る
・中村市、これでも北半分だけなので旭田区、詰久区などの南部、東部を描き進める
・路線図やタウン情報等、地域の様子がつかめるものを作る
・中村市外(首都・西京市や、地方都市など)の地図を作る

どうしましょうか。またTwitterアンケートで聞いてみましょうか。しかし選択肢は4つまででしたね。絞って聞いてみたいと思います。

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