人間社会の分析・考察

とうとう30代になりました。

とうとう30代になりました。

(30ってもっとシッカリしてると思っていたのだが、なってしまった)

誕生日について

その前に。

毎年、誕生日は通常の日と何も変わらず、静かな一日を過ごしています。

Facebookは誕生日を強調、助長するもので、ここ数年は誕生日前後は誕生日情報を非表示にして、気付かれぬようにしていました。(そうするとどうなるか、という実験を楽しんでいたのも本音です。)

ひとつには、当然ながら私は生まれた当日の記憶がないので、親より伝え聞いた日でしかありません。年齢が変わることから、しみじみと内省する日として過ごしております。

もうひとつは、私が友人知人の誕生日にほとんどノータッチなため、言葉その他いろいろいただいても、私はそのぶん返せないな、というのもありまして。

ただ、今年は30、大きな節目だし、非公開実験も数年やったので、久々に公開しました。興味深い結果は、最近FB友人になった方からのメッセージが多いということです。(イカン、また分析的に…)

30歳と、20代の10年間について

憧れの30代(なんとなくシッカリしている30代というものへの好意的まなざしはあった)。

そしてこれでいいのか30歳、という思いもあり、10年間を振り返ってみました。

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おぼつかないように感じながらも、こうして10年間を俯瞰してみると、ずっと安定しておぼつかず、大学や企業に属していた過去のどの瞬間も不安と見込みのなさを感じており、それを象徴するかのように、2011年(26歳)まではこういう自分俯瞰用の図と大量の文章を書いていたのを思い出しました。そういえば最近そういうことはしないし、久々にこんな年表?を作ったのでした。

まだ、その日暮らしの複合自営業であることには大方変わりません。しかし、職業的に一旦は回避した、都市・地理・地図方面に、再度シフトしつつあります(昨年末から、舞い込む小さな仕事の集積が、そちらのほうが多くなったということです)。また、まだ正式確定ではありませんが、とある新案件も進みつつあり、地理情報編集業になりつつもあります。

混迷の選択肢と、三十にして・・・

ただ、現状私が持つものだけでは足りず、何かしらの成長・向上が求められます。しかし、自力開拓してきた分野ながら、自力の試行錯誤に限界を感じてもいます。

大学院で新たな知見を得るor組立中のものを固めるのか、試行錯誤の方法を変えてそれを試みるか、法人化して幅広い仕事を受けるのか。今年に入ってから、この三つの選択肢の検討、波のように押したり引いたりを繰り返しており、なかなか決着がつきません。

決着がつかないまま、論語の一節を借りれば「三十にして立つ」。いやはや、どう「立つ」のでしょうか。しばらくは悩ましさが離れることはなさそうです。

そんなこんなですが、何十代の方々も、よろしくお願い致します。

アイデアのアウトプット

いやはや、鼻の詰まりが・・・

・・・って、実際に鼻が詰まっている訳ではありません。
なかなかアイデアを価値にするのは難しいのです。まず、私が何がしたいのか分からない。なんとなく分かったとしても、それがシンプルなことのハズなのに、言葉にするとやたら複雑になる。自分でも理解できないから、人にも理解されない。そのようなものを持ち合わせてしまったとき、それを形にして、価値に変えて、生活の糧になったら良いですよね。

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図にするとこうなります。
多少の言語力で、これを伝えることもできなければ、形にも価値にもならない、と。

さて、私がやるべきこと、ミッションといいましょうか、だんだん見えてきました。それは「地理情報の中間情報の編集」です。1/18に、ある会社向けの提案書を作っていてこの言葉がひらめいて、少し鼻の詰まりが解消されました。

しかし、アイデアを形に、価値にするために、自分が今持ち合わせている力だけでは足りないことをハッキリ認識する契機でもあります。

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さて、何が必要なのでしょう。私が今までオススメされたツールや、必要性を感じるツールを挙げてみました。

デザイン…これはこの図を作れる程度には回ってきましたが、これがあって助かっています。地図や、その他の完成イメージ、思考のフレームワーク整理、名刺からWeb、よさげな提案書まで自力で製造できます。これが自身の活動のコストカットになっていることは間違いありません。

あとは、私の周りの、ウオーと思うまともな人は、研究者と技術者と事業主でしょうか。みな、自分のツールは「簡単に使えるもの」という前提で薦めてきます。「自分が使える」前提は良いんです、使えるんですから。なぜか「私が使える前提」になっていて驚きます。

「簡単にオススメされるソレが簡単に使えないっての!」

・・・叫びはこのあたりにしておきましょう。

〈研究という道具〉

私の中で、いや誰がどう考えてもハードルが高い、と思うのが「研究」界なのですが、この人達もなんというか、私と一切壁がなく、同じ世界にいるよ、みたいな感じで会話を続けようとします。あなたには見えていて私には見えていないそのリテラシーの差、このマジックミラーのような溝を発見して楽しんでいます。結局それを楽しんでいるだけで問題解決には繋がらない訳ですね。

〈技術という道具〉

技術って言うと広範囲過ぎますが、ここでは情報解析やプログラム解析等に絞ります。そう、こうした技術屋さんも・・・突然専門用語を飛ばしてきます。私が通じる人だと思ってしまっているようです。確かに「パソコンぜんぜん使えな〜い」という訳ではありません。

キーボードも、クリックも、そこそこできます!!

↑この程度です。つまり実際のところ初中級。初心者から見たら中級だし、上級者から見たら初級者です。ダサい「ホームページ」しかなかった1990年代、CSSなんてなくてもHTMLタグだけ書いていれば良かった時代、ホームページは作れました。しかしそれから世の中がややこしくなって、CSSを埋め込んでキレイなWebを作らなきゃいけなくなってから、匙を投げたくなる程度の人間です。

つまり地理情報システム(GIS)も使えなければ、何かしらのプラグインを使ったり埋め込んだりしてアレをアレするようなことはできないのです。

情報の解析と可視化みたいなことを私がしたとすれば、それはIllustrator(デザインソフト)とExcel(マクロ・ピボット不使用)です。

Excelで使うのは、四則計算(+−×÷)とグラフくらいです。

〈ビジネスという道具〉

このセンスがあったら人生苦労しないよ!マッタク!

・・・と思うのは私だけではないのですが、ある人はなんかサラッとやっちゃうんですよね。いやはや困ってます。まず私が見たことがないものを作ると、市場価格がない(or分からない)ので、価格がつけられない。相手もつけれない。話が進まない。

そして・・・上記の「足りない道具」を借りようにも、どこに当たれば良いか、どのくらいの価格と契約が必要か、も分からない。

そして・・・資金力もなければ、それをパッケージにして価値に転換するセンスもない。

ないない尽くしです。

研究の世界に行く人は、ここに行かない!行けない!からの反動で行く人も多いようなのですが、私は逆に研究界に行けない!という反動が大きかったので結局ここに行き着くしかありません。(その変な反動で、何故か最初場違いな会社に就職してしまったのですが。)

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実例を挙げてみました。

デザインの力のおかげで「とりあえず一次イメージとして形にできる。」
・・・この1つの穴が空いていたお陰で次に進めたのは確かです。

実際は、デザインの力で空想地図およびその付帯物ができ、Webを作っておいたことで誰でも見られる形になったこと、そして友人知人が多かったので、イベントに自分から行かない私でも誘われる機会が増え、たまたま行ったイベントで取り上げてもらい、それを見つけたフリーの編集者が私と出版社を落とし、本が出版された・・・

という、意外な一発目のパンチが社会の壁に到達した訳ですが、それはこの4つの◯にない「高度な文章力」を借りることができた、というか「高度な文章力」がやって来たためです。

これで強力なツールを得られたとはいえ、私は文筆業になる訳でもありません。あと時々勘違いする人がいますが芸能方面でもありません。(テレビに数回出たからって…)

どのようなプロダクトを生み、どのような価値をどこにどう提供していくのか・・・それを考える序章に過ぎません。

それで、「高度な文章力」がやって来たときのように、偶然を待つだけでは、生きているうちに来るのかどうか怪しいところです。

というわけで、自力で少しずつジリジリ侵食しながら、少しずつ良い道具の発見→連携のセンスを磨いていく他ないな、と思った夜でした。あ、朝になってしまいましたね。(7:11)

特定圏交流と越圏交流

前からなんとなく感じていたが、人々の交流の範囲が人によって異なる気がしている。

大きく2つに分類してみた。学校や会社等、共通の接点を持つ輪、コミュニティを特定の「圏」とすると、その特定”圏”内で交流する人々と、この”圏”を越えて交流する人々がいる。もちろん、両方の顔を持つ人もいるが、世の中の大多数は、特定圏交流である。

・特定圏交流…同じ学校(クラス/部活)や会社の接点。深い仲の友人が圏内で数人。
・越圏交流……共通の所属組織は無関係。友人の友人もすぐ打ち解け、人数が特定できない。

例えば結婚式で、参列する関係者が「中学友人」「会社同僚」みたいに明確に分類できている人がいると、特定圏交流の人なのだと実感する。特定圏交流メインの人は、比較的年賀状もマメで、結婚式も開催する確率が高い。その反面ソーシャルメディアにはそこまで積極的ではない。

最も特定圏交流を実感するのは、同窓会だ。同窓会と言っても大規模なものではなく、それこそ数人の同期が定期的にお茶したり飲んだりするくらいのものだ。特に女性は、この頻度が高い。私の高校の元文化祭実行委員の面々(女性)は、よく青いSNSで集まっている写真をUPしているのだが、その頻度が、多いときは毎週くらいの勢いだ。もうこれは、文化祭が実行できそうなレベルである。

特定圏交流の場合、内と外が比較的ハッキリしている。内の人数はそこまで多くはないので、それこそ「集まる」と言っても、例えば土日休みであれば予定を合わせやすいのだ。

さて、越圏交流は少数派だが、実はシンプルだ。所属団体や接点は関係ない人でも「おもしろい」と思ったら、自然と友人知人になる。そして、2〜3人の知人の輪に、初対面(その中の誰かの知人)が入ることもある。「初対面か、何十回も会っているか」は、そこまで大きな誤差ではなく、ひいてはどこまでが親友、友人、知人なのか境界線を引くことが難しい。

関係者を特定しにくく、カウントすると膨大な数になるため、年賀状や一般的な結婚式(披露宴)は向いていない。その代わり、関係の深い人と浅い人を同列に扱い、かなりの人数を受容する青いSNS(Facebook)は重宝される。以前はTwitterもその機能を担っていた。結婚式(披露宴)よりも、それより敷居が低い結婚パーティーのほうが開催しやすい。

しかし、初対面と言うと全く接点がない訳でもない。総じて越圏交流の人々は知人が多く、共通の知人がザクザク発掘される。これは青いSNSだと瞬時に判明する。つまり、ゆるやかに大きな「圏」を形成しているとも言える。怪しい人や危険な人は、紹介されず関係も広がらず、よほどの場合はその情報も広まるため、内と外の境界線がないぶん、それがゆるやかなセーフティネットになっている。

私自身の人間関係は、9割5分が越圏交流で、それぞれ平均すると年に1回ずつ、高校、大学、会社の人々と交流することがあるくらいだ。私は人を誘わないし紹介しないのだが、人見知りは全くなく、初対面の人と話すのは結構楽しいので大歓迎。そして、私の周囲には人を誘うし人を繋ぐ、いわばコネクターの人がたくさんいる。それによって友人知人は増え、いつしか仕事になっていることもある。そう、仕事とプライベートという境界線もない。月1回意識的に会う人もいないが、その頻度も特段問題ではない。

特定圏交流の中で話していると、仕事とプライベートの境界線を感じ、同時に友人知人かそうでないかという境界線をハッキリ感じる。また、特定圏メインの人は、あるときまで他人だが、どこか心を許せる瞬間を通過すると親しい知人となる…外から内に変わる感覚がある。逆に言うと、浅く広くの越圏交流にはそれがない。

特定圏交流において、「友人の紹介で初対面の人に会う」というのは、何かしらの用/目的があるか、恋人探しくらいのものだろう。昨日は、同じ高校で、そこまで会ったことはないがそこそこ接点はあった人(女性)と、たまたま現住所が近所だったので、10年ぶりくらいに会った。個人的には、毎年会って近況を知っている知人よりも、未知のほうが気になる。そこで誰も誘うアテはないものの「誰か誘う?」みたいな流れになったのが印象的だった。

…そうだ。特定圏交流では接点の少ない男女が1:1で会うことは少ないのだ。越圏交流が日常だと、男女で会おうとそれは恋愛のスタートラインでもないし、ただ人間と人間が会っているだけの話だ。最後に気になったので高校の面々との交流を尋ねてみると、2年のクラスで仲が良かった人とは月1で会ってる、とのことだった。

多くの人は特定圏交流のみで、私は極端でほぼ越圏交流寄りである。しかし、特定圏交流と越圏交流の両者を持ち合わせている人もいる。私がいま気になっているのは、彼らがそれを意識せずとも、無意識で感覚や行動が変わるところがあるのではないか、ということ。例えば特定圏だと昔の話をするが、越圏だとそうではない…特定圏だと新たな知人を呼ばないが、越圏だと呼ぶ・・・等。それぞれに楽しみを見出し、それぞれの楽しみ方を体得していると、それぞれの交流方法が身についていくんだろうな・・・とか考えるとなかなか興味が尽きません。

都市の日常を分析したい!

都市圏についての分類をしたく・・・
ショッピングセンターについても詳しくなかったので、
21世紀のチェーンストア―チェーンストア経営の目的と現状」なる本を調達しました。

製造業が強い日本と異なり、欧米では、商業が社会を…日常生活を作ってきた流れがあるらしいのです。
日本にも、そういう新たな潮流を生み出す、ビッグストア、チェーンストアこそ必要だ!!!という、著者の主張の強さに多少ヤラれながら、読み進めています。

都市圏の中心から郊外、ひいては都市圏の外まで、多様な人々がおります。人々は何を求め、その結果どのような店が分布し、どのような日常を、街を形成しているのか。単に面的に、そういうことが気になっているのです。

その興味に対する答えは、
・都市地理学・経済地理学
・都市社会学
・商店経営・流通系
…が持っていることでしょう。

さて、久々に都市地理系の本を当たっていたところ・・・
最近は、こんな本があるようですね。。

●都市の空間データ分析
¥4,104
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●GISロジット商圏モデルと立地論・業態論・商圏論
¥3,024
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●ジオビジネス―GISによる小売店の立地評価と集客予測
¥3,888
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●現代の立地論
¥3,024
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なにか良書がありましたらお知らせください◎

新潟・南東北ツアー<ごはん編>

自分で言うのもアレですがそう来たか。ごはん編から始めます。

ちなみに、あんなに事前に交通手段やルート、回るところは決めるのに、ごはんは・・・全く事前に調べたりしていません。偶発性に任せて、「いかにも!」な観光地、観光名産品でない、地元の人が行きそうなおいしそうな店、何故成り立っているか分からないけど珍しそうな店を、国籍問わずオールマイティに攻めるスタイルです。

上越高田ごはん「つけパスタ」

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1日目にして、今回最もおいしかったのはこちら。新潟県上越市、高田の中心市街地にある創作料理店。つけパスタとはなんぞや・・・つけ麺のように、パスタをスープにつけて食べるのである。それも、ビシソワーズとトマトの2ソース。こちら単品で780円。サラダ、スープ、ドリンクがつくと1,000円。一般的な「つけ麺」の醸すイメージ、「B級」グルメ感を醸すことなく、丁寧に作られた味、そして、スープは枝豆の冷静スープで、これも絶品であった。ちなみに、地場のものが食べたい場合は、このあたりは魚がおいしいです。直江津の魚料理店や駅弁でおいしい魚が食べられますので、そちらも是非。4年前はそちらを攻めました。

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アラモード 高田本町店
http://tabelog.com/niigata/A1503/A150301/15014064/

新潟ごはん「海鮮丼」picture_pc_b420185bc66abdf17216adfc4d75dec1

続いては新潟市にある、新潟ではそこそこ有名であろう富寿し。新潟県内で多数展開していますが、今回のお店は「立喰い」。この写真だと分かりにくいのだが・・・全てがおいしい。写真で分かるのは海老かも知れない。弱くて白い海老に見慣れた私からすると、海老天にしても立派であろう食感と味を備えた海老を、お刺身でいただくのは貴重な体験であった。

驚きは値段である。立喰いだから、とは言え、海鮮丼+味噌汁で660円、ごはん大盛り無料である。店主曰く、男女問わず、仕事帰りにサッと食べて帰るのだそうな。

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立喰い富寿し 新潟万代店
http://www.tomizushi.com/shop/tachigui-tomizushi/tg-niigata-bandai/

山形ごはん「オムライス」

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山形はごはんがおいしいのです。知ってます。しかし敢えて別の方向を攻めたくなったのです。「ごはんレベルが高い都市は、何を食べてもおいしい。」・・・なら、古きよき洋食はどうだろうか。安易にシーフードミックスを使わない、ケチさのない魚介類、そして全体的な丁寧な味付け。サラダつきで880円、大変おいしくいただきました。

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カフェテリア野の花
http://tabelog.com/yamagata/A0601/A060101/6000552/

米沢ごはん「イラン料理屋のシルクロードカレー」

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米沢で米沢牛とかベタ過ぎる!(食べたことないけど)・・・そのありきたりな発想で多くの人を吸い込む、観光客向け高価飲食店には行くまい。そう思っていた矢先に、目の前に現れたのはイラン料理屋であった。本当は本格的なイラン料理を出す店なんです。がしかし、カレー+サラダで680円という魅惑のお値段に惹かれ、オリジナル「シルクロードカレー」をいただくことに。多少辛いのだが、辛味ではない様々なスパイスが使われ、なかなか美味であった・・・。
(※余談。米沢牛は近傍の長井市が原産地のようで、そちらだと半値くらいで売っているようです。知名度ブランド化高騰減少。関さば関あじ/岬さば岬あじ問題も然り、ですね。)

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ペルシャ料理シルクロード
http://tabelog.com/yamagata/A0602/A060201/6004049/

番外編「りんごジュース飲み比べ」

秋田県といえばりんご。りんごといえばりんごジュース。と言う訳で、りんごジュース飲み比べ大会を実施しました。

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1品目はマタギの里りんごジュース。りんご酢のような感じかな?と思ったらそんな感じ。甘味だけでなく酸味も濃い〜味わいです。

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2品目は、知る人ぞ知るベストセラー、私も長らくファンである増田町りんごジュース。小学校の同級生の故郷が、この増田町の隣の十文字町出身だったので、頻繁にこれをもらっていたのですが。透き通るりんごの味が絶品だったのです。おお、これがまた飲めるとは・・・!

絶品です。

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3品目は、意外なところから・・・南会津は会津田島駅で売られているりんごジュースです。混濁か透明か・・・その間を行く姿は、まさにりんごの断面を見るようです。味もまさにりんご。これは隠れた逸品ではないでしょうか。

番外編「山形代表」飲み比べ

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山形と言えばフルーツ。「たかはたファーム」等も有名ですが、東京でも時折見かける「山形代表」缶ジュース。そりゃ山形に行けば・・・たくさんあるのでした。

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その中でも変わり種の、ラ・フランスと柿ジュースをいただくことに。ラ・フランスはすっきりした透明感の中に、シッカリとした甘さもあって、おいしいです。柿は?そういえばジュースになっているのを見たことがない・・・食べると甘い柿ですが、ジュースにすると薄くなるんですね・・・水っぽさが増します。だから柿はなかなかジュースにならないのか・・・とはいえおいしい一品です。

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マスカットも珍種ですが、これまたおいしいですよ。すっきりした甘さです。

それではまた!

 

 

 

 

 

 

新潟・南東北ツアー

ツアー?調査?一人旅?
どの枠かは未だに分かりませんが、地方都市の日常に浸りに行くこと、地方都市の全貌を把握する・・・のは難しいので、せめて、多くの人が集まる街をつかむため、地方都市、特に市街地を定期的に回っています。

前回の記事で準備していたもので、7/23〜26に回ってきたものです。
https://blog.chirijin.com/2014/07/23/1407232/

今回の順路は、こんなルートです。

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1407という数字は2014年7月、つまり今回のルートで、それ以外の数字は、それ以前の訪問履歴です。青い線は過去通ったところ、赤い線は今回のルートです。

続いて行程をば。

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文字ばっかりで分かりにくいですが、つまり、普通列車中心で、4日間で回ったということです。

さて、それを全部振り返ろうとすると、なかなか中身が多くて、絞り切るのに難航します。撮影した写真の枚数は3600枚近くで、写真選定も時間がかかりそうです。

Blogが一度も続いたことがない私は、「こんなの書いてる暇があったら他にすることがあるだろ」的な感じでやることを溜めているので、引き続き「気が向いたら書く」スタイルになるのですが・・・

書くとしたら、

・上越高田編
・新潟編
・酒田編
・秋田編
・新庄編
・山形編
・米沢編

一旦は、こんな感じになるでしょうか。
あとは、

・移動中編
・ごはん編

・・・一番ライトなのはごはん編だろうか。

全部書いたら奇跡です。では。

 

地理人の日常 新潟&東北〈地方都市と脳内と〉

地方調査は、移動中が肝心だ。

さて、地方都市調査中は、ツイートが増える・・・かと思いきや全然そんなことはない。リアルタイムでレポートしようという速報魂がないのかも知れないが、個人的には、それどころではないのだ。

画面に向かえば、日常と繋がってしまう。私の場合は東京の人間関係が投影された画面を見ることになる。文字を打ったり写真をアップしたりして、ソーシャルメディアにつなぐと、その時間は風景を見ないことになる。

その土地の空気に浸りたい、風景の連続性、人々の移動の波を観察したい・・・観察といっても、人数や区間を記録するようなことはない。なんとなく自分で”体感”するのだ。どこまでが「近く」て、どこからが「遠い」のか、乗って感じて見る。そうするとおのずと、「地元民の感覚」がついてくる。

10〜20時までは、移動か、住宅地や市街地を回っているか、僅かな時間に食事をしているか、である。それ以降は、コインランドリーで洗濯していたり、日中にすべき返信を返したりしていると、結構時間がなくなる。

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一人旅と聞けば、のんびりマイペースのようだが、えらく立て込んでいるである。しかし、立て込んでいるかと言われれば、移動中、本も読まず、連絡も返さず、ただ風景と車内の様子を、凝視するでもなくなんとなく”感じて”いる。

都市を歩く”リハビリ”

47都道府県、回っていない都道府県や主要都市があると「何故把握していないのか?」と自分に疑問を投げかけた。その都市に行けば誰でも知っているようなことを、私は知らないことがもどかしく、その土地では「当然のこと」を知らない後ろめたさがあった。そう、全国の地方都市に行かざるを得なかったのだ。

そんなこんなで、2005年頃勢いがついて、結局2008年に回ってしまった。それから、勢いは落ち着き、ヘビーワークな会社員となり、僅かな未踏主要都市と、以前と事情が変わった都市、人的に用のある都市を回る程度になり、足は鈍ったのである。

それでいて、本が出たり、メディアに出たりで、「地理人」は知られてしまった。しかし、名の知れた頃には、過去の勢いの残像で生きてる人というのも虚しい。というか、別に何かを成し遂げたでもなく、ただそこには未完成の空想地図があるだけなのだ。

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そう、未完成なのだ。

路線バス界隈では私より数段詳しい専門知識を持つ人、探究心のある人がいて、架空地図同業者も秀逸な地図を描くようになって、一体地理人とは何なのかを、見失ってもいた。簡単に言うと、私が何かしてもあまり意味がないと思っている、ということだ。

しかし残念ながら人生はまだ長そうだ。長生きしたくないのだが、周囲からは長生きしそうだと言われている。困った。色々人生の危機感を感じやすい性ではあるので、なんか向上せねば、価値を見出さねばと思っている。

例えば、勉強するとか資格とるとか実務経験身につけるとか、そういった前向きなキャリアを身につけた方が良さそうだ。しかし大学を卒業してからそこそこ年月は経ち、今しても周回遅れのようなものでもある。0から何かをするよりは、周囲の人もどうして良いんだか分からないが気に留めてくれている空想地図をどうにかしたほうが良さそうだ

とか言って、私もどうして良いんだか分からないのだが、ここで色々やめると、学校を中退するような投げ方になってしまうので、卒業して一体何になるんだか分からない学校みたいなものだとはいえ、卒業したほうが良いだろう、ということで、とりかかっている地図や本については完成させねばと思っている。一応、牛歩ながら進めている。

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オンリーワンを確立せねばならない。

これからの世の中、誰にもできないことを追求せねばというのが、社会を生き抜く上での命題でもあり、競争できない私自身の課題でもある。競争できないからオンリーワン市場に行くしか道はないのだ。そういう訳で、昨年は海外にも行ってみた。多文化、多民族、貧富の差、を内包すると都市はどうなるのか、をつかむ手がかりに。結局よく分からなかったが、手がかりにはなった。そういう意味では前進だったかも知れない。

昨年も、何かのついでに都市調査、ということはしていた。西日本方面に行く用はあるので、今まで見てなかったところを補完するように、名古屋や広島、福岡の都心から郊外へ、路線バスで移動してみたりはした。そのことはのちのち書こうと思う。

ついで、ではなく、目的にして行こう、それも、手薄になりがちな東北方面も、網羅的に多様な都市を見るという観点では疎かにしてはならん、というわけで、今回、8年ぶりの新潟東北方面に足を運ぶことにした。

行くべきところは他にもあるでしょう。

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新潟なら県庁や鳥屋野潟、内野あたりまでは行くべき、なような気もする。秋田は以前県庁方面には行ったが、南の郊外も突然郊外モールが発達していたり、つまりはその周囲に住宅地が発展しているハズなのでそれがどんなものかを見たほうが良いような気もする。他都市も同様だ。ところで写真が新潟と全然関係ない方向で、私の写真セレクトの適当さが窺える。

ただ、短期間の低予算で1都市を見るのでは効率が悪い。予算を上げようにも、この有益なんだか無益なんだか分からない調査活動に、必要以上の投資をするのを、私自身が渋るのである。

私自身の自由を、私が100%認めない。

社内決裁のように厄介な、自分内決裁が、今回も起こっている。

それは、今以上に心もお金も余裕のなかった、大学生時代はさらにそうだった。それがハングリー精神を生むのか、対立する二項のせめぎ合いで妥協点を見つけるという社会事象の再現になるんだか、なんだか分からないが「やりたいことを30〜40%はやるけど残りは諦める」くらいが、自然で、ちょうど良いような気がする。私が100%、200%、やりたいことをやり遂げていたら気持ち悪い、みたいな感じだ。

私がひとり、突然うまくいったとしても。

なんとも、気持ち悪い。実態を持たず、何かの幸運で一時的にうまくいったとしても、それは長期的な前進とは信じがたい。短期的にうまくいっても、うまくいったことは認めず、その気持ち悪さは拭えない。私自身、私の人生の主人公ではなく、私の人生を傍から暖かく見守り、そして同時に、冷たく手も差し伸べずに眺めている傍観者でもある。逆に、自分のことに対しても客観的である、俯瞰の目が、自分の人生をバランス良く、まぁどうにかここまで運んできた。

私にできるのは、この俯瞰の目で、自分自身だけでなく、人々の群れを、そして社会を、そして都市を見つめ、観察し、それを伝わる形で伝えていくことなのかなぁ、などとも思っている。

それより6時に家を出るはずなのだが、たぶん寝たほうが良い。何かの気の迷いで文章を書き始めると長くなるので、なるべく書かないようにしているのだ。深夜の勢いで書いた文章は酷いものだ。

地方都市をつかむ!新潟&東北〈準備編〉

さて、今日から4日間、新潟&東北方面にお出かけである。PRや発信することに長けておらず、継続性もないため、ブログのようなものは過去続いたことがないのだが、ものは試しというもので、地方調査の舞台裏をお見せしてみようと思う。

行くまでの準備

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実は行くまでが時間がかかる。どの地方都市に行くかを絞り、複数の都市を効率的に回るルートを検討する。このとき、全ての列車の時刻、都市内の回る場所ピックアップと所要時間の策定もするので、計画を作るだけで半日以上を要する。こうして、低予算で抑えられたら調査決行となる。何かしらの条件が合わなければ、計画だけ作られて見送りとなる。

47都道府県の主要都市が未踏だった頃は、どこが未踏か、未踏の都市を優先で回っていたが、現在は、未踏の小都市と、既に回ったが回ってから時間の経った都市、事情に多少変化のあった都市を優先的に回ることにしている。

期間と予算、交通手段

 

日数は3〜4日ほど、予算は交通費が1日3000〜5000円、宿泊費が3000円ほどで、1日2〜3都市の市街地調査を詰め込む。そして移動は車でも特急でも高速バスでもなく、普通列車(あるいは路線バス)だ。青春18きっぷを使うことが非常に多い。

予算低減の目的もあるが、普通列車や路線バスを使う目的は他にもある。特急や高速バスの乗客の大半は外来者だが、ローカルな公共交通は、ほぼ地元の人しか乗っていない。地方だと高校生や高齢者等、生産年齢人口の両端に限られるが、それでも地元の空気に浸ることはできる。また、人の多い区間と人の少ない区間のコントラストを体感することができる。人の多い区間は都市圏内、あるいは公共交通が機能するほどの人口密度で、その外はそうではない、ということだ。

例えば、南から目的地の都市を通って、北に移動する場合は、少なくとも南端と北端を感じ取ることはできる。移動と郊外把握を兼ねて、かつ交通費を抑えることができるので、普通列車(あるいは路線バス)は外せないのだ。

一体どこを回るのか

さて、一体どこを重点的に回るか、だが「その都市で最も人を集めるところ」あるいは「集めていたところ」だ。とりわけ、郊外のイオンが自家用車ユーザーを集めているのは想像がつく。地図でどのあたりにどの規模の郊外商業施設を把握しつつ、回ることもあるが割愛することもある。

問題は、中心市街地だ。全国的にどこも地方は「寂れている」印象があるが、実は一辺倒ではない。往時の勢いはないかも知れないが、商店街はそこそこ生き残っている場合、商店街は死んでいるが中心地の大型商業施設が健闘している場合もある。実はこれは、地図を見ただけでは想像がつかない。そしてイオンとは異なり、都市によってその様相は大きく異なる。

郊外の風景は、移動中の普通列車の車窓から観察する。あるいは、時間をとる場合は典型的な郊外住宅地と都心部を結ぶ路線バスで往復することもある。

地図と予定表

こうして作られた予定表は2部印刷し、1部をポケットに、1部を荷物の中に入れる。また、都市地図は昭文社のマップルシリーズをカラーコピーしたものを持ち歩く。ネット地図では縮尺がつかみにくいことが大きな欠点であり、昭文社マップルはどのネット地図よりも、複雑な情報の見せ方には長けており、情報量もデザイン性も高い。

また、A3見開きの情報量は、27インチのPC画面の情報量より大きい。画面の解像度は、まだ紙の印刷精度を超えていないのを、地図を見るととても実感する。書き込みができること、タブレット端末よりも広範囲の閲覧が可能でかつ軽いことから、まだ紙のほうが使いやすい。携帯で地図を見るときは、目的地の位置を点で確認するときのみで、都市の全体像、市街地の全体像を「面的に」確認するのには、ネット地図は向かないのである。

今回の行程

今回は、(東京→)長野→上越(高田)→新潟→秋田→山形→米沢→会津若松(→東京)を、4日間で回る。そのほとんどは2006年に回った都市だ。さすがに8年では多少の事情が変わっている。2006年時点では回りきれていない所もあるので比較ができず惜しいところだが、2004年の地図と2014年の地図を比較すると、その変化が見て取れる。

こうして、現地に赴く際は、以前の地図を見てから行くと、なお事情はつかみやすい。歴史的背景を抑えるためには数十年前の地図が良いが、商業環境、現代人の日常生活を追うには、10〜20年を追うだけでもそこそこの変化があるのだ。

ここ8年間の変化をみつめる

こうして都市を回る際には必ず写真を撮るのだが、合計10万枚を超えている。今回回る都市のほとんどは、8年前にも回っている。そのときに撮影した写真と比較することで、定点比較ができる。今回、全ては合わせられないが、以前撮影したポイントで変化があった場合、定点比較ができるよう、重要な写真を抜き出して都市ごとに印刷した。これも予定表、地図、カメラとともに持ち歩くこととする。これは今回が初である。

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人と一緒のほうが疲れない

これは、私の都市調査あるあるなのだが、人と同伴のほうが疲れは少ない。人がいると、残り時間5分で無茶な調査はしないし、そもそも無理なスケジュールを組まない。炎天下で上り坂を上り続けたりもしないし、多少の休憩を入れる。同伴者が私本意の都市調査に巻き込まれては気の毒なので、同伴者がいるときは人に優しくなることができる。しかし回る効率は2分の1に落ちる。

一人だと逆に言えば、2倍速になる。だからこそ短時間で、都市の把握が可能となっている。気を遣わないのは楽である反面、体力は消費する。その代わり収穫は大きい、ということだ。

続編は書くのか

・・・分かりません。

元気があれば!汗